KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

アドラー「嫌われる勇気」はれっきとした実用書であった。

安っぽい自己啓発本であろうと視野に入っても手に取ることはなかった。
しかし、見かける度合いが頻繁となり、あちこちで話題にもなっている。
たまたま入った本屋の店頭、「どや」といった趣きで最前列に並べられている。
買い求め土曜夜に一気読了した。

世界と対峙するための思想が展開される。

個々にはそれぞれ取り組むべき課題がある。
それは導きの星とも言うべき存在であり、頭上輝くその星を注視することから全てが始まる。

自分自身の課題と他者の課題を混同してはならない。
他者の課題についてはコントロールの範疇外にある。
他者の胸の内を気に病んでも始まらない。
自分自身の課題と他者の課題を分離すること、つまり、変えることができるものと、変えることができないものを見極めることが大切である。

原因によって結果が定まってしまうのだという決定論の罠にはまってはならない。
人は変わることができる。
目的に焦点を当て、目的に照らして経験に意味を与えることが大切だ。

「いま、ここ」という現在を超えた大きな大きな共同体のなかにあることを感じ、「いま、ここ」にスポットライトを当てて自らの課題に勇気をもって立ち向かっていく。


大きな共同体に対し何か資する役割を果たしつつあるとき、人は自身に価値を感じることができ、その貢献感が幸福の源泉となる。
その境地に至れば他者の承認をあてにしなければならない不自由から解放される。

「いま、ここ」に焦点を当て自らの生き方を貫く。
その瞬間、瞬間の真剣なダンスとしての「なしつつあること」が「なしたこと」になっていく。

自分自身であるための勇気、つまり、幸せになるための勇気についての本であった。

対人関係のしっちゃかめっちゃかにもみくちゃにされたり、毀誉褒貶かまびすしい環境にある仕事人であれば、どのようなプロセスを経ようと上記のような境地に至り類似の処世訓を獲得していることだろう。
それら各自が有するであろう有用な断片が、ひとまとめに体系化されたとなれば、これは単なる自己啓発本ではなくまさに「実用書」と言える。
売れるのは当たり前の話だろう。