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子らに語る時々日記

狭間研至の「薬局が変われば地域医療が変わる」を読んだ。


狭間研至の「薬局が変われば地域医療が変わる」を読んだ。

たいへんに分かりやすい。
以前にも書いたが、狭間研至はプレゼンの名人である。
関西弁トーンの柔らかな語りで、聴衆を引き込みそのまま掴んで離さない。

ひとたび話し出せば、彼は聴衆の頭の中に絵を描くアーティストと化す。
細部と全体をリズムよく往還し、豊富なたとえを織り交ぜて、誰よりも巧みにその世界をガイドする。
聴衆はいざなわれるまま彼の世界をビジュアルとして共有できることになる。

単に言葉としてデジタルに伝えるのではなく、ビジュアルとなるので、半永久的に頭に残り内容も復元しやすい。

つまり、噛んで含めて身になるところまで、どこまでも行き届いた完璧なプレゼンと言える。
これはもうやはりアートの世界というしかない。

そして、今回狭間研至がものした書物「薬局が変われば地域医療が変わる」においても、その名人芸がいかんなく発揮されている。

阪大医学部と言えば理系最高峰であるが、狭間研至の知性は、世間で言うところの「理系的」要素にとどまらない。

緻密でありロジカルであるのは当然として、それだけでなく更に、ユーモアがあり、情感があり、そんなことまで知っているのかと恐ろしいほどに知見が広く、地に足ついた日常的な感覚も鋭敏なので、彼が表現者となれば、共感まで伴って相手にその知識や観念が適切に伝わっていく。

どのように言えばいいだろうか。
この伝達の過程は心地いいほどに見事である。


「薬局が変われば地域医療が変わる」のなか、薬剤師の在り方について彼が考え突き詰めていく過程は、まさに「謎解き」である。

薬剤師が直面する数々の問題を考察しつつ、その諸問題を一般論的に大雑把に総括したり棚上げするのではなく、丹念に考え尽くし必ず解を見出していく。

狭間研至の知性がロジカルに謎を解いていく思考過程は読んでいて小気味いい。

狭いスペースを論理的思考が縫うように駆け巡り、視界を変えていく。
見晴らしがよくなるので、後で言われてみれば、そりゃそうだ、と思えるほどにどの解も腹に落ちる。

しかし、どれ一つ、ぼんやり口開けて浮かんで姿現すような解ではない。
どれもこれもお腹痛めてやっと生まれてきたような、苦心惨憺が背景にあるはずなのに、しかし狭間研至はいつだって涼しい顔だ。


狭間研至が提起する「薬局3.0」という概念は、国として取り組むべき施策の次元の話であろう。

彼が先頭に立って切り拓いてきた道なき道の背後に、「薬局3.0」という薬剤師にとって肥沃な世界が出現した。

日本人の寿命は伸び続け、かたや若年人口は減少の一途をたどる。
各々が直面する「長い老後」を制度としてサポートする上で、「薬局3.0」は現有の資源を有効活用することで果たせるのであるから、非常に合理的で経済的な概念であると思える。

否応なく、このアイデアを国家施策として取り入れる機運が生じるに違いない。
それほどまでに手持ちの打開策はどれもこれも見劣りするものばかりであり、一方「薬局3.0」は具体的かつ現実的だ。

薬剤師という「活用可能な医療インフラ」があったのに、狭間研至が言うまで誰も気付かなかった、というコロンブスの卵的構図が見て取れる。

そして、この世界が見えている狭間研至は薬剤師に言うのである。
専門家としての真価が問われることになる。
薬学に基づいた知識により、他の専門家に代替できない「謎解き」が果たせる薬剤師の出現が待望される。

この世界の実現のためには、薬剤師自身の意識改革、自己イメージの変革が不可欠となる。


本書の最後には、狭間研至の思考は「対世界」をも射程に置く域に至る。

数々の指標が国の衰退を暗示し、国の経済を牽引するような次世代産業が勃興する兆しもない。

しかし翻ってみて、灯台下暗し、医療については、日本は国際競争力を持ち得るレベルにあり、今後、超高齢社会に対応していく日本の医療モデルは、世界的な価値を持ち得るはずだ。

「薬局3.0」が狭間研至の序章であるとすれば、引き続き第二章、第三章などを経て、最終章は国家レベルの戦略家として在る姿なのであろう。

細部をきめ細かく渉猟し、飛翔して俯瞰する、その複眼は、やはり世界を見渡す次元に行き着くしかない。