KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

家族を持ったことが最大の自己啓発となった。

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金曜夜。
いつもと同じような帰宅後の光景である。

野菜中心の料理と家内の話を肴に晩酌し、ビールからオンザロックへと手にするグラスが変わる頃、長男が帰宅する。

長男が走り込みの自主トレを終えて戻ると同時、家内が二男を迎えるためクルマで出発する。

長男の勉強が勢い増し英検のテキストに取り組みはじめたとき、クルマが車庫に入る音がする。

二男が宿題に取り組み始めるまでのほんの少しの時間、家族4人が顔を揃える。


キッチンで最後の一杯をちびちび飲みつつ、リビングで会話する家族の様子を眺める。

長男と家内がすれ違い、そのときに気付いた。
長男の方が家内よりも背が高い。

イメージのなか、自転車の前カゴにでも入りそうな小さな小さな子グマちゃんであった長男が、いっぱしの背丈になっている。

感慨に耽ったついでにもう一杯飲もうとするが、二男がキッチンテーブルで勉強のスタンバイを始めたので、私は三階へと退散する他なかった。

長男も二男も自分の部屋で勉強することがない。
こだわってこだわって買ったお揃いの木目のデスクは当時のままピカピカで、一方、キッチンやリビングのテーブルが勉強用に使い込まれ数々の思い出を刻む月日を重ねていく。


唐突な話ではあるが、私にとっては家族を持ったことこそが最大の自己啓発であったと言えるだろう。

30歳で結婚し次々と子グマを授かり、否応なく私は野生の親グマとならねばならなかった。
それまでは、虚妄の屁理屈屋、先行きの不安を直視しない呑気者でしかなかった。
それがいっときであれ、つべこべ言わない野獣と化したのだった。

相棒である家内もこれはもう立派な母グマへと変貌した。
両者ともに自分にかまける余裕などどこにもなかった。

やはり私は感謝せねばならないだろう。

手抜きのない、本当に丁寧に暮らす日々が始まり、それを支えたのは母グマであった。

母グマの愛情たっぷりに手をかけた子育てぶりは、当世標準の格好だけのなんちゃってママとは一線も二線も画す。

私はと言えば、寝ても覚めても仕事に明け暮れた。
虚妄の屁理屈や先行きの不安がのんきに佇む場所などもはやどこにも存在しなかった。

最強ではないかもしれないが、そう簡単には負けるはずのない親グマペアが手塩にかけてきた。
この子グマ達は、そんじょそこらのレベルでは収まらないはずだ。


先日この日記で触れた映画「ぼくのピアノ・コンチェルト」だが、主人公の祖父役はブルーノ・ガンツであった。

ブルーノ・ガンツと言えば名作「ベルリン天使の詩」を誰もが思い出すであろう。

重苦しいウツ的症状が、随所挿入されるペーター・ハントケの「わらべうた」によって和らげられ、サーカスの空中ブランコが大きく振れて一気に色鮮やか快方に向かう。

ウツ的症状の治癒体験が擬似的に味わえる映画であるとも言える。
だから恐ろしいほどに退屈な映画なのに、多くの人を魅了したのだろう。
時折しも日本経済のバブルが崩壊しつつある時期であった。

「ベルリン天使の詩」的なイメージで例えれば、私にとって結婚する30歳以前はまさにモノクロの世界であり、今の側は色鮮やかカラーの世界に属していると言える。


今日も同様、地味で静かな毎日が過ぎていく。

長男は学校後神戸までラグビーに出かけ二男は塾。

皆が顔合わせるのは今夜10時頃のことだろう。