KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

心健やかであることの幸福について


夕刻、風に波立つ川面に西陽が注いで、光が跳ねる。

場所はロイヤルホテルのちょうど真ん前。
川沿いの遊歩道のベンチに一人の女性が腰掛け、ぼんやりと川を見つめている。

大阪が見せる風光明媚が霞むほどに美しい女性だ。
顔立ちからして南欧からの旅行者という風に見える。

水の香りと秋気をふんだんに含んだ風にあたりながら、暮れゆく異国の川べりで一人佇む。
彼女固有の特別な時間がゆっくりと流れ、この瞬間の連続が彼女の胸に永遠に刻まれてゆく。


その同じ時、テレビ出演を果たした精神科医の姜昌勲先生は、放送と同時に始まったネットでの実況に見入っている。
匿名者らが放送を見ながら思い思いのコメントをネット掲示板にアップしていく。

そのタイムラインを目で追った際の心境を姜先生はブログで語っている。
心が折れそうになったという。

私自身は姜先生の放送もネットの実況も見ていないが、その手の掲示板に流れる薄汚れたような言葉についておおよそ察することはできる。

何だって標的とされ餌食となる。
何か実のある実況というよりは、噴き出た吐瀉物がどんより光って画面に垂れ流されていくといった方が正しいだろう。

姜先生が果たそうとする大目的と一切何の関係もなくもちろん寄与することもありえないゴミのような言葉が面白おかしく投げつけられる。
ゴミばかり見ればそりゃ心も折れることだろう。


もともとそのような罵詈雑言の雨あられは、ネット以前は、球場のネット裏ではよく見られた事象であった。

日生球場、大阪球場、藤井寺球場、西宮球場など、ワンカップ大関など片手に昼からすることのないおじさんらは、選手相手に奇声を発していた。
野次という名の奇声は球場では許されたのだ。

奇声にもいろいろあって、威勢のいい罵声もあれば、ぶつくさ執拗な永遠の小言のようなものまであって多種多様である。

奇声者の最大の巣窟はもちろん甲子園球場であった。
播州から泉州まで関西全域の粋を集めた柄の悪さが渦巻いて槍のように怒号が飛び交っていた。

しかし、日生球場、大阪球場、藤井寺球場、西宮球場がすべて取り壊され、甲子園球場一極状態となってからは、公衆性が増したからであろう、酷い野次は鳴りを潜めるようになった。


私もそこらのおじさんらに倣って、野次を真似たことがあった。
そこのバッター、クルクルパー、みたいなことを大声で言ってみたのだ。

ヒンヤリとした感触とともにその記憶が鮮明に残っている。

心地のいいものではないとすぐに学んだ。
面白可笑しく言ってみたものの、面白くとも可笑しくともなかった。
大声で人を蔑んだその言葉が自らに跳ね返ってきただけで、ただただこっ恥ずかしく、いたたまれなかった。

ネット裏でちびちびとコップ酒なめる奇声の音源達は、返す刀で自らの惨めに切り刻まれ続けていたに違いない。

罵声発してへっへっへっご満悦となるはずが何か違う。
こんなはずではない、胸がすくはずのなのにと更に奇声を発するがますます自らの悲惨に呑み込まれていく。

悪あがきの末、自らの野次で自ら絶句していくという自家中毒となっていく。

そして、ぐるりとまわって、その毒に慣れてしまうのだ。
自らを蔑み続けせせら笑うその姿は、あまりに痛ましく涙さえ誘う。


夕刻の川の流れを目にするように、パソコンの画面を眺めてみる。

場面によっては高度成長期時代の市内の川のように、見るも無残、ゴミとヘドロで淀んだ川であるかもしれない。

見るともなし眺めれば、汚濁のなかコップ酒片手に恨み辛み喚いて流れていく輩が混じっているのが分かる。
チラと顔みれば笑っているように見える。

見る景色は選んだほうがいい。

虚空を相手にする暇は誰にもない。
虚空を喜色満面勢いづかせても、それは言い表しようのないほどに虚しい無でしかない。


堂島川に沿って歩く。
風が頬をなで、川に映る光が目を癒やし心を和らげる。
人肌を誘ってやまない秋がますます深まっていく。

秋の夜長には、子らと過ごして心美しく在ることの幸福について話してみたい。