KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

心の拠り所は実はここにあった。

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長男と一緒に風呂に行くはずが、彼は終業後の静まり返った事務所のデスクで試験勉強に取り組んだまま音を上げる様子がない。
何かブツブツ言いながらその世界に「入った」まま出てこない。

親子水入らずの上方温泉一休は諦めざるを得なかった。
私にとっては思いがけず秋の夜長の読書タイムとなった。

そうこうしているうちに二男を迎える時間が近づく。
そこを区切りに引き上げだと長男を促した。

鮮や丸で夜食を買うが、長男の分はわさびが多かったようだ。
わさびに敵意むき出しにし呪詛の言葉を発しながら食べる。
それでもあっという間に平らげた。
二男の分と同じくわさび抜きにすればいいものを彼には兄としてのプライドがある。
さび抜きなど子がついばむものとでも考えているのだろう。


深夜に差し掛かろうという時間帯、家に着くやいなや長男は自主トレに出かけた。入浴後、二男交え家族で談笑のひとときとなる。


ついつい私も深酒となって家族全員夜更かしとなるが、朝は無敵で私が強い。
目覚まし時計など何もいらない。

明け方、仕事が私をモゾモゾと起こしてくれる。
私の中の一個小隊が仕事に対峙しようと勇み立ち、がやがやし始めるのでもう眠れない。

聞けば、仕事が嫌で仕方なく朝になれば思わず涙が頬伝うような人もあるという。
かつては私も不自由かこつ勤め人。
その気持ちは分からないでもない。

私が仕事場に到着する頃には長男も二男も目を覚まし朝の支度を始めている。

早起きの習慣を定着させたこと、もしかしたらこれこそが、子らに対する私の最大の功績かもしれない。


事務所南側のブラインドを開け光を浴びつつA3ノートに今日の課題を鉛筆で記していく。
腕組みし、しばらくじっとノートを見据える。

やがて何かが動き始める。

戦場の前線、睨み合いが続くなか、何を合図にしてなのか、私の中の一団が気づけば動き出し、加速していく取っ組み合いの渦中に私はそのまま引きずり込まれていく。

睨み合いのまま、何も動き出さなくなれば私は現役を引退するときなのであろう。


このように毎日を健やかに過ごす最大のコツは、逆説的だが「気負わないこと」と言えるだろう。

気負えば心が縮み、何でもないことが辛くなる。

ぶっちぎりぶっ通しで朝から晩まで本気出す、といった気負いが世間で散見されるが、これなどからきしである。

本気出るのは結果であって、出そうと思って出るものではない。

それよりは、まるでその気もないような、手応えないくらいの虚心である方が、そそのかされて本気がほいほいと顔を出す。

気負わないのは簡単だ。
ハードルを下げるだけのこと。

私はこれを「小さな勝利で大勝利」と呼ぶ。

ある程度課題をこなした段階で私は勝利の雄叫びを静かに上げる。
今日も勝ったぜ連戦連勝。

連戦連勝だから、すこぶる気分がいい。
肌ツヤも最高。
お酒も美味い。

小さな勝利で満足する、と腹を括って以来、たまには大きな勝利も転がり込むし、何より心楽しく日々を過ごすことができるようになった。


そして気づいたのだ。
心の拠り所というものは、自分の外部には存在しない。

気に入った場所や人やアクティビティは確かに拠り所ではあるが、それはカラダの拠り所という方が正しいであろう。
そのとき確かに心も安寧の境地に至るであろうが、それがなくなれば、また心は居場所を失う。

心の拠り所は心にあって、それはなんと言えばいいのだろうか、「自らを赦す思想」のようなものではないだろうか。

自分が自分であってそれで心地いい。
そのためにはどうであるべきか、長い人生なのだから、自分なりの「心の拠り所」を実感し掴んでおいた方がいいだろう。

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