KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

元をただせばサルであったと考えれば腑に落ちることも多い。


元をたどればサルであった。
ヒトの本性を知る手がかりとして、共通の祖を持つ類人猿各者を見渡すことは意義あることであろう。

前回書いた京阪電車の一件についても、その若者がヒトではなくチンパンジーなのだと置き換えて見ればその邪知暴虐な行為に何ら異和がない。
むしろチンパンジーに目をつけられたおじさんの方こそ軽率不注意であったという視点で語られる話となる。

もし相手が本当にチンパンジーであれば、握力300キロの豪腕でハチャメチャに痛めつけられるだけでなく、群れの仲間が狂喜乱舞、カラダもがれ引きちぎられ先争うように根こそぎ食われ、皮までなめられる、ということになったかもしれない。

そのおじさんについては、命あってカラダの全パーツが揃っていたのであるから、もっけの幸い、僥倖とでも言うべきことであろう。


山極寿一氏の「暴力はどこから来たか」と「サル化する人間社会」を読み終えサルについて考え巡らせていたところ、NHKで「謎の類人猿の王国」が放映された。

ヒトが有する慣習や制度といったものは、ヒトの歴史が始まって以降に編み出されたものではなく、サルからヒトへと変遷する過程のなかにその原型があるのであろう。

ヒトの近縁にあたる類人猿たちの生態を見れば見るほど、そのように思えてくる。

そして、ヒトはまだまだサル的であり、ヒトの行為のうち、少なくともミニマムな部分については、サル性といった切り口で多くが説明できる。

先ほどの京阪電車の若者の話で言えば、彼の生育歴や家庭環境といったもので理屈を構成するよりも、要は彼はチンパンジーなのだと仮定するほうがより多くを整合的に説明できるに違いない。


類人猿にも各種各様あって、チンパンジーとボノボは見かけは似ているが生態は全く異なる。

コンゴ川を境界にしその北側に生息するチンパンジーはオス社会であり、武闘的であり、性と食を巡って絶えず争い、群れの衝突の後では子殺しをしてみなでちぎって子を食べる。
一方、南側に生息するボノボは、どちらかと言えばメス社会であり、メスが性の主導権を取り暇があれば交尾して性についての諍いはなく、北側よりもエサが潤沢なので食についても争いがない。

サルとしての見かけはほとどん同じ両者が、こうも異なる社会を形成するのであるから、これはヒトにも参考になるところ大であろう。

もちろんヒト的価値観をあてはめ、チンパンジーを悪、ボノボを善とするのではないが、虚心にみて、子殺しのない方が在り方としては望ましいのではないだろうか。


サルからヒトへの流れを俯瞰すれば、ヒトが目指してきた針路のようなものを読み取ることもできる。

山極氏によれば、向社会的行動の有無が、ヒトと他の類人猿を分ける最大の特性だという。

子育てが長期に渡り、ヒトは共同で子育てをするようになった。
それが教育という要素をヒトにもたらし、「他者に自分を重ね合わせるような共感能力」が育まれることとなった。

ヒトは助け合い、相手を思いやる。

「相手のため、他人のために、社会のために、何か役立つことをしたい」ヒトはそう思うが、サルには自分たちの利益と欲望があるだけであり、そんなこと思いもよらない。

そして、その向社会的行動が、ヒトの認知能力を更に高めていくことになった。

ヒトとしてどのようにあるべきか。
ヒト単体の範囲で世界観や人間観を考えるのではなく、サルたちとの比較を通じれば、より鮮明にヒト的ベクトルを感知することができる。

サルに劣らぬ良き個人、社会の実現のためにも必要な視点だろう。