KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

なるようになってきただけの人生



月曜明け方、余計なことは考えない。
やや風邪気味、だるい、体調が思わしくないのが明白だ、しかも頭痛まである。
しかし、そんなことに構いやしない。

どの道、なんとかなる。
そのようにやってきたし、実際、なんとかなってきた。

体調悪くても、大抵そのうち回復してくる。
更に悪化したことなど、長い人生で指折り数える程度。それでも乗り越えてきた。

そのように自らに言い聞かせつつも、調子が悪いとどうしても雲行き悪い連想が止まらない。
些細な用事が、生死分かつ一大事のように思えて重たく気が滅入る。

憂えない、思い煩わない、と言い聞かせようが、意思の及ぶ範囲ではなく、前途は実体伴うのだろうか、必ず「影」を落とし、伸び縮みはすれど消えることがない。


いつも通り始発を使って仕事場に入る。
何もかも決まりきった段取りでいつものように仕事にとりかかって行く。
ロキソニン服んだのでじきに頭痛は治まるだろう。
普段と異なるのは寒気と軽い嘔吐感。

心当たりがある。
先日の土曜日午後、サウナに入って火照ったまま初冬の肌寒さの街を今宮から四天王寺まで歩いたのだった。
今宮まではクルマであったしサウナでぽかぽかだったので、寒さがむしろ心地よかった。
だから車検でクルマを預けたのに代車を断って歩くことにした。

季節の変わり目、わざわざ風邪をおびき寄せるような愚かな振る舞いであった。

早く仕上げてさっさと切り上げようと、週初めの書類作業をこなしていく。
朝8時を過ぎると待ちかねたように電話が鳴り始める。
月曜朝、仕事のエントロピーはいや増しとなる一方だ。

そして、いつの間にか体調悪いことなど忘却の彼方となった。
業務の荒波の、慣れ親しだ温かみが蘇って次第に心地よくなってくる。

例のごとく、数時間で完治した。

意識の南中とも言える状態。
「影」はもはや存在しないも同然だ。

どんなクスリより、仕事は効き目抜群だ。


昨晩日曜、用事があって盛り場でクルマを停めて長めの待機時間を過ごしていた。

目の前に映画館があって、そこからいろんな取り合わせの若いカップルが出てきて私のクルマの前を横切っていく。

その光景を見るともなし眺めていた。

身を寄せ合う者、他人行儀な距離を保つ者、カップルの熟し度によるものだろう並び具合が微妙に異なる。

孤独かこつ若き青春の日々をもっぱらにする私であったが、このように誰かと映画を見に行ったことがあったと懐かしくなる。

昔と今が地続きでつながったかのような感慨にとらわれる。
そして今、私は、あの当時とは、全く異なる場面を生きている。


たどり返したくないようなことだらけの若気の時代を経て今に至った。
計算し尽くして今に至ったという要素はゼロである。

全部成り行き、運任せ。
不思議でしょうがないが、なるようになってきた、だけの道行き。
私自身の昔と今を貫く真実は、「なるようになる」という一言に尽きる。

どのみち、案じても仕方ない。
今日も同様、なんとかなった。

明日もまた、なるようになる、のだろう。
どうやらそれが続く間は続いていくだけのことのようである。