KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

中学受験は極限の世界


この日曜午後、ようやく我が家の年が明けた。
中学受験を間近に控えた終盤の3週間は無駄口など叩く余裕もないほどに張り詰めた日々であった。

どれだけ準備してこようが、どれだけ実力を高め能力を磨いていようが、中学受験は一発勝負であり、安穏と臨む心境からは程遠く、息詰まる極限の心境に晒し置かれた状態を余儀なくされる。

ロシアンルーレットさながらこめかみに銃口を当てて過ごすような日々とも言えるだろう。

これはもう渦中に身をおかなければそのひりひりするような切迫感は想像できないものであろう。

長い時間かけ積み重ねてきた努力の成果を一回の試験で問われ、明暗が一瞬で分かれる。

吉と出ればはじけるような歓喜ととろけるような安堵に浸ることができ、凶と出ればこれはもう何が何だか何が起こったのかさえ訳が分からないといった混乱に見舞われる。

この3週間については、話せば長い長い話になる。
いくら時間がかかっても、じっくり本腰を入れて振り返ってみようと思う。
中学受験を通じて考えたあれやこれやについては、反芻し検証するだけの価値があると思えるのだ。
しばらくこの日記は中学受験の話題で占められることになるだろう。


日曜午後、定刻、学校正門に設えられた合格発表の掲示に向かった。
悲喜交交の声が一斉に漏れ出て反響し合う。

二男の受験番号を探す。
ひとつ後ろの番号と最初に目が合った。
視線をゆっくりとその前へと移動させる。

番号はそこにいた。
何度も目を凝らす。
くっきり明瞭、間違いなく二男の番号であった。
震えのようなものを感じた。
家内と二男に良き報せをもたらすことができる、そのことがただ嬉しかった。

しかしとても歓喜などできるような場ではなかった。
過半の人は不本意な結果を目の当たりにしたのであり、その沈痛な面持ちを前にはしゃぐことなどできるはずがない。

受験は時の運であり紙一重。
ちょっとした綾で、彼我の立場は入れ替わる。
そう思えば、やったやったと喜び露わにするなど不見識極まりないことであろう。

家内に電話する。
家内の平静を装った声が少しして涙声になった。

こうして、我が家の中学受験は、無事に終結した。
長男のときと同様、最良の結果を授かることができた。
感謝の気持ちしかない。

私が33期であり、それから33年経過して、二男が66期となる。
不思議な巡り合わせを感じつつ、その場でお見かけしたかつての恩師にお礼を述べ、握手した。