KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

箱根山体操はキモブサだけど

仕事後、一人残って「ローズマリーの赤ちゃん」を見ていると買物帰りの家内が事務所を訪れた。

画面を発生源とし室内に対流していた不気味な空気が一挙に失せた。
私のうつろも正気に返る。
悪の瘴気さえ払いのける、歩く大審問官。
帰る支度をし、家内に連れられ商店街に向かう。

名店たこやで刺身を買い、これまた名店満海で幾種類か魚介を買う。
帰宅ラッシュの二号線をクルマでひた走る。
家内が話し、私はふむふむと頷く。

FMからハイ・ファイ・セットの曲が流れる。
家内の声が遠くなる。

今夜、長男の帰宅は遅く、二男は研修館。

テレビもつけず音楽もかけず、二人で夕飯をとる。
家内が話し、私がふむふむと聞く。

脂乗った肉厚の鯛がポン酢とよく合い、塩焼きにした鯛のふっくらした食感がたまらない。
家内の話が遠く霞む。
まさに刺身のツマ。

やはり中央卸売市場のお膝元。
野田で買う魚には外れがない。

神の河の水割り片手に、日曜に家内が録画した箱根山体操を見る。

星光には箱根山体操がある。
運動会、午前の部のラストを飾る。
野暮でもっさい動きの粋を集めたような踊りだ。

もし街中、フラッシュモブで箱根山体操が始まっても、高揚させる躍動もリズムもなく、通行人はずっこけるだけだろう。
悲惨なほどに鼻白む様子が浮かんで戦慄してしまう。
それほどまでに、キモブサな踊りなのである。

ところが、これが運動会の最大の見せ場となる。

入学したばかりの中1にとっては通過儀礼のようなもの。
ダサい体操服着て、照れてモジモジ、へんてこりんな動きをこなしていく。

そこに上級生が飛び入りで加わる。
最も盛り上がるのは高3だ。

晴れて誇らしく、力いっぱい彼らは踊る。
ここで過ごした6年を振り返り、万感の思いに胸を熱くしていることが見て取れる。
最後だと思えばこそ。
ダサい踊りであればあるほど、愛着が湧く。

冴えないダンスに忘我となる。
この心情のニュアンスは星光生にしか分からないことであろう。

同じ踊りをどこか他所が取り入れたところでこのような現象は起こらない。

星光の空間であってこそ生じる。
無形の、何か特別な空気のようなものがその空間に漂っている。
それを呼吸していくうち、今は顔を紅潮させ体を硬直させていた中1が、はつらつ笑顔で、箱根山体操を踊るようになる。

その空気のようなものはにわか仕込みで出来上がるものではない。
長い年月を通じ、流水の働きが何かを象るように、醸成されていく。

意図して組成できるようなものではないので、あれやこれやすれば雲散霧消してしまうものかもしれず、守るためには、余計なことはしないほうがいいのかもしれない。

あの手この手、このような空気を醸し出そうと、様々な学校が工夫を凝らすが、狙って果たせることではなく、だからこそ、このような無形の何かが根付いた風土というのは、それだけで無上の価値があると言えるだろう。

箱根山体操を見ながらそのように家内に説明し、運動会だけではなく、同窓会でもこれは盛り上がる出し物となるのだと言い、ふと家内の方を見ると、彼女は隣人にメールを打っていた。

私の話はもしかしたらつまらなかったのかもしれない。

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