KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

訃報に接して


神戸へ向かう阪神電車のなか、きょう君から連絡を受けた。
内浦君の訃報であった。

柴田先生を囲んでの同窓会があったちょうど同じ夜、未明0:40に用水路に転落しているところを発見されたという。
大学仲間との会食のあと自転車に乗って帰宅途中、誤って落ちたようだった。

北新地にて私達が旧交を温め、やんや宴に興じていたのと同じ時間帯である。
内浦君がもし京都大学の仲間ではなくこちら大阪の中高の同窓会に出席していればこのようなことは避けられたのかもしれない。
そう思うと悔やまれる。

今回の同窓会の出欠を募っていた際、きょう君を通じ内浦君から欠席の連絡を受けたのは数日前のことであった。
所要あって忙しいということなので元気健在の内浦君であるとしか思っていなかった。
だから亡くなったということが全くもってうまく理解できない。

四年前の夏、ユニバーサルのホテル京阪での同窓会の際、いっとき内浦君と二人で肩を並べ隣り合う瞬間があって少しだけ話し、また後でねと別れた。
会のお世話役であったため、私はあれやこれやで落ち着く間がなかった。
私にとってはそれが内浦君との最後の場面となった。


訃報はいつだって不意にやってくる。
あまりに唐突すぎて、意味が呑み込めない。

そして、何をもってしてもその事実を覆すことはできないという不可逆に底知れぬ恐ろしさを覚えただただ絶句するだけとなる。

有能な編集者であった内浦君の仕事についてもっと詳しく話を聞いておけばよかった、といまさら思ったところで、もはや取り返しつかず為す術がない。
また後でね、と言った切り、もう会えるということがない。

まさに一期一会。
何気なく過ぎたあの場面が最期になるなど夢にも思わなかった。

死が訪れ、その人なり人生が成就し完結する。
どのようなエンディングであろうと生き切ったことには変わりなく、生きることにまつわる諸々一切から解き放たれ、大きな世界に安らか属すことになる。
厳粛にそう受け止め、故人の冥福を静か祈りたい。


私達も45歳を過ぎ、やがては順々に一人また一人と旅立っていく。
この事実から目を背けられない。

直近の同窓会を司ったメンバーが代表して窓口となって、連絡にしても哀悼の表明にしても、きちんと人としての対応ができるよう取り決めておいたほうがいいだろう。

逝く側からすれば、ともに過ごし時間を共有した仲間に対しては「こうなったけど、今までありがとうね」とその報を知らせて欲しいはずであるし、また、送る側とすれば必ずこれまでについての謝意とそして弔意を伝えるべきであろう。
人としてそれが当たり前のことなのだと思う。

33期だけに限らずこの日記に目を通して下さる星光関係者の方がいらっしゃる。
内浦君について、少しでも何か伝えることができればと思い、今日の日記とした。

最後に石本くんの言葉を添えておきたい。
「物静かだったが、温かみがあり、本当に一本芯が通った男だった。ご冥福を祈ります」。