KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

中学受験の酷く辛かった思い出


ゆらり屋の予約は夜7時。
梅田から阪急電車に乗り換え西宮北口に向かう。

午後、阪神電車に乗ったばかりであった。

阪急と阪神では乗客層が全く異なる。
よく聞く話だ。
氷が冷たく、お湯が温かいように、ごく当たり前、地域的な違いはあって当然だろう。

そしてこの日、その温度差を実地で再認識することになった。
体感した差は思った以上に著しいものであった。

阪神電車は昔なつかしの匂いがする。
私が生まれ育ったのは大阪下町。

当時その町角で見かけたような、少し乱暴そうなおじさんや、気性荒そうなおばさん、やんちゃ盛りのお兄さんや、何でも知ってるわよといった早熟なお姉さん、そのような面々に、どの車両でも再会できる。

いつ乗っても裏切られることがない。
まるで待機していたエキストラのように、各自配置につき、その懐かしの風情を醸し出してくれる。

一方の阪急電車。
テレビで見るような遠い世界がそこに在る。
絵に描いたように優しげなおじさまや、上品で物腰柔らかいおばさま、ちょっと照れてしまうくらいに綺麗なお姉さま、こんな風に生まれたかったと思えるようなカッコイイお兄さま。

普段はどこで何をして暮らしているのか皆目見当もつかない、全く縁のない世界。

もし、世の為政者が、今後は種族を分別すると額に烙印押すなら、私達家族のおでこには「阪神」と印されることだろう。
子らはタイガースファンであるから本望かもしれない。


ゆらり屋のテーブル席につく。
家内と二男と私の三人。
週末、長男はやたらと忙しく帰宅は遅い。

以前訪れたことがある。
美味しいという記憶が残っている。

一本一本丁寧に揚げられた串かつを順々に味わっていく。
記憶以上に美味しい。
かなり美味しい。

家内も二男も気に入ったようだ。
串かつ以外も、なかなかいける。

鳥軟骨を気に入って、二男が言った。
トリコになってしまうよ。

話題は西宮北口にまつわる昔話。
数年前、子らをここらの塾に通わせていた。
送り迎えでしょっちゅう、このあたりに顔を出していた。

長男が受験を控えた秋、ある塾の上六の教室に移籍し、数ヶ月の時をおいて二男も移籍したので疎遠となった。

最近では訪れたとしてもガーデンズどまり。
この界隈に足を運ぶことは、なくなった。

想い出の詰まった地で食事する。
感慨深い。

いつか思い返せるよう、その想い出について記憶あるうち記しておこうと思う。


二男が当時を振り返る。
上六の塾に移った当初は楽しかった。
遠かったし阪神電車には不慣れだったけれど、先生らがとても親切だった。

長男を受け持ったのと同じ先生方に、二男はすぐに馴染んだ。
順調に成績は伸びた。

楽しく塾に通う日々が続いた。
受験は楽勝、そう思えた。

しかし、六年生に差し掛かって状況が一変する。
順調に成績が伸び、六年のカリュキュラムが始まって最上位のクラスに編入となった。
そのときから様子がおかしくなった。

算数の先生との相性がしっくりこなかった。
これまでの先生とは何から何までやり方が異なっていた。

這い上がって来い、という暗黙の叱咤なのだろうか。
言葉はかけられず、どう考えても相手にされていなかった。
上出来ではないにしても、不出来ではないはずだった。

ただ、あのレベルである。
編入後、順応しペースを掴むのは生易しいことではなかった。
結局は自力で這い上がらねばならないにせよ、何の後押しもないのは酷くつらいことであった。

たとえ不出来であったとしても、あんまりであった。
助け舟が一切出ないのなら、途中からの編入など端からお断りであるが、編入した後となっては本人にも男の意地がある。
親としてもすごすご引き下がるよう促す訳にもいかない。

助言も何もなく、他の生徒に対するのと明らかに態度が異なる、そこにいていいのかどうか確信のないまま授業を受ける。
その覚束なさが苦しいという日々が続いた。

鳴り物入りで現れたこの教師はその塾に三顧の礼で迎えられ、すでに権威づいていた。
一般人からすれば何が凄いのかさっぱり不明であるが、他の先生は誰も物言いができないようであった。
塾業界というのは、落武者かもしれない者の空威張りや虚仮威しでも十分に通用する世界であるようだった。所詮は子供相手、ということなのかもしれない。

当初、二男から話を聞いた時点でその教師の対応に疑問は感じた。
しかし、何か深い考えがあってのことかもしれず、静観することとした。
なんでもかんでも子の言うことを聞くのは過保護に過ぎる。

二男にとっては神経苛まれるような塾通いとなったが、耐えるしかなかった。
なにしろ、どれだけ練習がきつくてもコーチに罵倒されても、おまえが悪いのだと言ってラグビーの練習に放り込み続けるような親である。

立ち向かっていけ、親はそう言うに決っている。
弱音など吐ける訳がなかった。

あのときの塾は、ほんとに辛かった。
勉強を苦しいと思ったことはないけれど、あんな酷い思いは、もう懲り懲りだ。
二男はそう述懐する。

エビの串かつがあまりに美味しく、魚介も押さえておこうと、イカとタコについても串を追加で注文する。
私は山崎のオンザロック、家内はハイボールを飲んでいる。

そして、とうとう塾に対し口出しせざるを得ない状況が訪れた。
成績が目に見えて下がってきたのだった。
算数だけが下がったのではなかった。
二ヶ月連続して見事なまでに右肩下がり、全科目が落ち込んだ。

長男は私の三倍賢いが、二男は長男の更に三倍賢い。
下がる、というのは異常事態以外の何物でもなかった。

つまりは、自己喪失であった。
非承認の世界に置かれれば、なんと子とは無力なものであろう。


受験学年である。
なるようになると見過ごす訳にはいかなかった。
これは人災以外の何物でもない。
取り返しがつかなくなる前に、大人として断固動くべき時であった。

均して月に10万近くは払っている。こんなことされてヘラヘラしているわけにはいかなかった。

中学受験は熾烈を極める。
成績が下がった時点で、時すでに遅し、と切迫するくらいの危機感が欠かせない。

二男と対話した。
塾ではどう過ごしているのか。
先生は、この結果を受けて何か言葉をかけてくれたのか。

エレベータで乗りあわせてもその教師は声かけてくることはなく無言のままであり、下のコンビニで顔を合わせ挨拶しても返事が返ってくることはなかった。
だから、極力、顔を合わせないようにしている、ということだった。

どのような了見かは知らない。
どう考えても、そのように振る舞う納得いく理由は見当たらなかった。
見かけの威勢とは裏腹、心に空虚でも巣食っている人なのか。
まさか、そんなはずはあるまい。

他のクラスへ行くよう勧められることもなく、この状態が続くのであれば、飼い殺しである。
何かうちの子に非があってこのような冷遇が浴びせられているのだとしても、あるいは、単にうちの子の被害妄想であって思い過ごしに過ぎないにしても、何がどうあれ手を打たなければならない。
もはや看過できる状況ではない。

受験生なのである。
精神的なエネルギーをこんなことで空費している場合ではなかった。

責任者に掛け合った。

元の算数の先生を戻せないのか。
頼みの綱であった馴染みの先生は他教室に異動となっていた。
辞めた訳でもないのに、生徒のことを最もよく知って実績もある先生を最終学年になってから外すなど暴挙ではないか。
これでは、全く別の塾ではないか。

しかし、人事に口出ししても聞き入れられるはずはなかった。

であれば結論は決まっていた。
件の先生に当たらないようクラスを変更してもらうこと。
長男のときと同じ国語の先生に担任を受け持ってもらうこと。

去年の6月6日のことである。
阪神オリックス戦が行われる直前の甲子園球場の入場門前、私はカネちゃんと待ち合わせていた。
小雨降るなか電話で責任者とやりとりしたことが今も記憶に新しい。

カネちゃんは笑って言った。
上六は迷走してるな。
カネちゃんの子は天王寺。
天王寺は揺るぎない教室であった。


何事も紙一重。
あのとき状況判断を親が誤っていたら、結果は異なったものだったかもしれない。

もう少し様子を見ていたら、鍋の中で徐々に茹でられるカエルと同じ末路を辿っていたことだろう。

クラスが変わり、責任担当が変わり、たちどころに結果が出た。
成績はぐんぐん浮上し元のレベルを回復した。
入試前にはどこを受けても大丈夫なくらいの力がついた。

上六の塾には本当にお世話になった。
感謝の言葉もないくらい、子らは先生に助けられた。

まだ西宮の塾に在籍していたときに、カネちゃんに教えられ天王寺の先生に相談したことが運命の出合いとなった。
他塾生であったのに、本当に親身になってくれた。
そして、上六で子を引き受けてもらった。
贅沢とも言えるほどに、分厚く強力な講師陣に最大限の支援を受けた。

また、二男のときには入試直前という絶妙のタイミングで、これはもう噴飯、程度の悪い理科の先生がインフルエンザにかかって休養し、ああ休んでくれてありがとう、間接的な追い風となった。

人のやることであるから、行き違いは付き物であろう。
それでも、補って余りある恩を私達は受けたと心から感謝している。

どう考えても、素晴らしい塾であり、この塾なくして、我が家の前途は開けなかった。
長男にとっても二男にとっても、良きことだらけ、振り返ってみれば悪いこともそれはそれで先々の益になるものであって良き「苦い薬」であったと言えるだろう。

何事であれ、どこに落とし穴があるか油断はできない。
知らぬ間に塾全体の目標設定が置き換わり、システムが変化する。
その隘路に落ちるのは決まって子供だ。
うちの場合は、顕著にサインが現れたので手の打ちようがあって助かった。
結局モチ屋はモチ屋。
システム変更によるお粗末な結末が見通せる2015年の実績だったのではないだろうか。
やったことはそれぞれにそれぞれの形で帰着する。

二男がオーダーのストップをカウンターに告げる。
勘定は三人で14,000円。美味しかったが食べた量からすればやや高い。
私達にはどうやら新世界のだるまがお似合いのようである。

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