KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

そんな人物に命を預けたくはない。


台風の日、土砂降りの雨のなか事務所を出て外を回る。
ツバメ君を東大阪から大阪市内へと走らせ、私は神戸方面、芦屋から六甲道へ向かう。

神戸の風雨は大阪をはるかに凌ぐ。
傘を暴風にふんだくられそうになりながら、びしょ濡れになって歩く。

濡れネズミとなって顧客先を巡る。
やっとのこと午後3時過ぎに任務完了、一段落ついた。

ここら辺りに来れば灘温泉に寄ることを慣わしとしている。

ジョガーが一汗流すのと同じように労務を終えて一風呂浴びる。
天然温泉が格別だ。
冷えたカラダが温まり、しゃちこばった心がほぐれていく。

風呂をあがって駅へ向かう途上で、ふと目が合う。
「らーめん専門店いっぽし」の看板に心は釘付け。
今日は頑張ったのでご褒美だ。

暖簾をくぐってチャーシュー麺を注文する。
直感どおり。
うまい、やんかいさ。
鶏骨スープが濃厚、麺の歯応えもちょうどいい。

人心地ついて阪神電車で事務所へ戻る。
この時点ですでにストレス・ゼロという状態。
週末の解放感に満たされる。


手に携える本は「10年後世界が壊れても、君が生き残るために今、身につけるべきこと」。
乗車前に本屋に入り、一旦その本の前を通り過ぎるもタイトルが気になって手に取った。

46歳の私が読むような本ではない。
私は「君」と呼ばれるような歳ではないし、10年後について誰かに心配される立場でもない。
しかし、子らにとっては役に立つ内容もあるかもしれない、そう思って買ったのであった。

メンターと「ぼく」の対話形式で話が進む。

対話形式と言えば、プラトンが描くソクラテスがまず浮かぶ。
もちろん、池田晶子さんの「帰ってきたソクラテス」シリーズもプラトンの著作に一歩も引けをとらない。

何をどう問うても、ソクラテスは無敵だ。
ソクラテスに導かれ疑問は解消し、新たな境地へと誘われることになる。
会話の応酬がスリリングで目からはウロコが落ち続けとなる。

今日手にした本に登場するメンターについては、言葉遣いや披露する知見がかなり若気に思えた。
部活の先輩が後輩にするドヤ話といった印象だ。
読んでいて、微笑ましい。

阪神電車が武庫川駅に停車する。
駅の高架から、武庫川が見渡せる。

ジャングルを呑み込む濁流みたいに、見慣れた河川が荒れ狂っている。
氾濫寸前。
静止画のようにいつも穏やかな武庫川とは全く異なる相貌だ。

間もなく本を読み終える。
学びがあった箇所には折り目をつけている。
そこを読み返す。

スキルではなく在り方を磨くこと、日本はあと10年で階層化しその蓋が閉じる、自分の経験ではなく経験してきた自分に目を向ける、本当の価値はこの世界の客観化されていない無理数のアイデアの中にある、ここには言語化されていない主観的な世界やアート的な世界がある、、、

10年前から知っておきたかったという知見が並ぶ。
30代であれば感銘を受け、ここで述べられる本質に焦点が合って実用的に役立ったことだろう。

しかし私はもはや46歳のおっさん。
もっと早くに読めれば良かった。
子らの書棚に置いておくことになる。


事務所で残務作業を終え商店街の名店たこやで刺身盛り合わせと中トロを買い求める。

四方八方から放水されているみたいに激しく雨が押し寄せる中、クルマを走らせる。
残念ながら金曜日、FMココロのマーキーはお休み。
聴く番組はなく、ハードディスクの音楽を再生させる。

帰宅する。
台風の影響で長男も二男も今日の学校は休みであった。

長男にとってはいい休養となったようだ。
夕方になってもまどろんで過ごしている。

二男は、荒れた天候をものともせず映画を観るのだとガーデンズに向かった。
ガーデンズに出かけ映画を楽しんでいた長男を受験生当時の二男はしばしば横目にしていた。

受験が終われば自分もそうしたい、強く念願していたのだろう。
期末テストも終わった。

今が決行のとき。
雨はまだ激しく降り続いていたが、男子であればどこ吹く風。
意気揚々と出かけていった。

プロ野球のオールスター戦を見ながら長男は食事を始めその横で私は晩酌を始める。
たこやで買った刺身とアスパラガスの炒めもの、湯豆腐を肴とする。

私はぼんやり見ているだけだが、長男はさすがにトラキチ。
ド真剣にタイガースの選手を応援し、時にヤジを飛ばす。

そのように育てた覚えはない。
ここら地域には、空気中にトラキチとなる種子がエーテルのように漂っているということであろう。
幼少を過ごすと、必ず種子が宿って発芽する。
そして生涯をともにすることになる。

二男が戻ったとき時計は9時を過ぎていた。
映画を観た後、本屋をぶらつき重松清の「定年ゴジラ」を買ったのだという。
アベンジャーズはとても面白かったということだ。

一人で映画を見て、本屋をぶらつく。
男子のとば口。
素晴らしい時間であったことだろう。


安保法案が可決され、これで晴れて日本は戦争し得る国へと大きく前進することができた。
為政者からすれば万感の思いであろう。

ケンカしちゃダメだとお家できつく言いつけられているけれど、腕を引っ張るジャイアンの力は強すぎる。
「Show the FLAG」と発破かけられ「Boots on the ground」と檄を飛ばされつつ、それでも憲法9条を盾に態度を曖昧にし続ける立場はつらく悩ましいものであった。

これでやっと堂々と威勢よく、ジャイアンの後ろから啖呵切ることができる。
生意気な中国や韓国や北朝鮮にもこれでデカイ顔できる。

ケンカする場合のルールは細かいが、ちょっと諍い生じても、細かな解釈は後で考えれば済むことだ。
要はケンカできればいいのであって、理屈は後後。

このように、日本は大きな節目を迎えることになった。
実質的に、憲法9条は骨抜きとなった。

世は、個人の思惑などはるか越えたメカニズムで動いていく。
明日のことなど分からない。
このような形で憲法9条が仕留められるとは思ってもみなかった。

憲法違反である疑いが濃厚で、かつ国民の過半が首を傾げているのに、あれよあれよと法案が通った。
これでも法治国家なのかと呆れるが、所詮は東アジア極東の地にある島国だ。

しかしやはり法治国家であるのだから、この法律が効力を有することになる。
苛政は虎よりも猛なり、この荒唐無稽は戦慄に値する。

安保法案成立の日を境に日本の在り方が大きく転換したと後世振り返られるようになるのかもしれない。
が、当事者である我々には間近過ぎて、それがもたらす意味と今後の行方をうまく想像することができない。

国民の命と財産を守るというが、たとえ発端はそうであっても、いつだって目的は都合よく意図的に取り違えられる。
今後十年単位でもたらされる変化など予測できる訳がない。

戦後70年の方が例外だったのかもしれない。
戦争へと至る扉とその鍵を用意しておかないと、人というのは気がすまない生き物なのだろう。これに先立って特定秘密保護法も成立を見ている。準備は着々と進んでいるように思える。

人類の宿痾が背景にあってそれが再び萌芽し始めているのだと考えれば、このような流れの辻褄は合う。

こうなってしまったからには、せめて深刻なドンパチは回避できるよう、外交の成熟に期待する他ない。

タフでしぶとく、あっち見てホイ、こっち見てホイの複眼で複数の相手国を手玉にとり続けるくらいのしたたかさを見せてもらいたいものである。
期待薄ではあるけれど。

それにこうなったからには、あの国は馬鹿だ、この国は阿呆だと単純に言い募っている場合ではない。
単純思考を先鋭化させての反目は幼稚な子供の世界でたくさんだ。

そして更にこうなってしまったからにはあらかじめ考えておいた方がいいだろう。

あちこちで気勢が上がって「日本人としての尊い名誉の死」といった為政者の嘘インチキを日本人の大半が真に受け、そのためであれば命を献じることが潔しといった風潮が生じた場合、どう振る舞うのか。

殉じる危険をどうしても冒さざるをえないという状況は男だからゼロにはできないにしても、蛮勇のごとくの命の大バーゲンは後で必ず悔やまれる結果となってかつ取り返しがつかないことになると歴史が証明している、そのような立場に直面した場合どうするのか。

話を大袈裟にしているつもりはない。
これまで実際に起こったことであるし、これからも現実に起こりえることである。

ついでに今の日本の為政者の顔もよく覚えておくことである。
品あって徳あって、といったような人物ではない。
艱難辛苦をくぐり抜け、人として磨き上げられた無私の人物というのでもない。
あの歳で髪はフサフサ、滑舌悪く、あり得ないほどの名家の出なのにしっかり勉強したという風でもない。

そんな人物に命を左右されたくないと思うのが人情であろう。


今朝から大阪環状線は不通のままだ。

午前6時の時点で王寺町には土砂災害警報が発令されていて長男の学校は臨時休校となった。
二男は通常通りに学校へ向かった。

午前中に二男の学校で懇談があって、午後には長男の学校で学年説明会が行われる。
どちらも予定通り実施される。
それらの出席は家内に任せてある。

家族4人、今夕の集結は午後6時過ぎとなる見込みである。

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