KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

「移民目線」で自らの在り方を問い直す。


昨日8月11日火曜、本町や谷町など大阪ビジネス街の道路はまるで休日のよう。
がら空きだ。
まもなくお盆、そう実感する。

ツバメ君に指示し、上本町明月館に向かう。
少し肉を食べることにする。

明月館Bランチは肉がついて、テールスープがついてご飯はお代り自由だ。
ランチセットの肉であっても、結構美味い。
ツバメ君は喜んで頬張っている。

テールスープを一滴残らず飲み干し、額にうっすら汗浮かべ午後の遠征に向かう。
東大阪を経て八尾、藤井寺と回る。


今朝の毎日新聞第一面。
丹羽宇一郎さんのインタビューが掲載されている。

はっと思わされる一節があったのでメモしておく。

“20世紀は大量生産が重視される「量の時代」でした。対して21世紀は品質、信頼性が問われる「知の時代」です”

「量」と来れば「質」という語が対置されるのが通常の言葉づかいである。
が、丹羽氏は、ここに「質」ではなく「知」をもってくる。

なるほど、この方が本質的だ、唸らされる。
量と質を区分けるものは、知。
なるほど、そうだ。

ちょっとした言葉づかいで核心が浮き彫り明確となる。
そのお手本を見た思いがした。


昨日、日本において二年ぶりに原発が再稼働した。

安全の見極め、避難訓練、使用済み燃料の取り扱いなど、どれもこれも中途半端なまま、不安視すればマイナス材料尽きない状況なのに、まるで「見切り発車」のように原発が、この地震列島のうえ、稼働し始めた。

何だか分からないうちに、当初の規定どおりに話が動いていく。
「何だかよく分からないうちに」という点に、この国の特性が端的に表れていると言えるだろう。

電源選択の多様化、発電コストの低減化、安定的な出力、二酸化炭素排出削減、電力会社の経営黒字化、原発関連業者や学者の食い扶持維持、など、一理も二理もあるメリットは分かるけれど、人命や国土が天秤の向こうにあるのだとしたら、とても、釣り合う話ではないように思える。

しかも、いま太陽光発電の普及などで、電力は足りている。

極めて地盤が安全でありまさかの場合であっても対策が講じ得て被害も想定範囲で収まるような、超優良原発を選定し、当分の間、再稼働はそういった限定的な箇所に留める、といった現実対応的な、周囲も納得しやすいような意思決定は行われないのだろうか。

このままでは、知らず知らのうち、おそらくは既定路線通り、再びおっかなびっくりな原発地震列島となっていく様相である。


昨日同様、商店街にクルマを停めて瓶ビールを買い、界隈きっての名店で焼鳥を買う。

家で一人晩酌しつつ、映画を見る。
ケン・ローチ監督の「この自由な世界で(It's a Free World...)」

主人公は、職業斡旋を生業としている。
移民労働者に、日雇いの単純労働などをあてがっていく。
なかには不法移民も混じる。

祖国では医師や教師など尊敬される専門家であったものが皿洗いや清掃や土木作業などに従事する。

主人公は、要はその上前をはねるピンハネ業者なのであるが、違法性が高まれば高まるほど実入りはよくなるので、仕事はますますグレーの度を強めていく。

なけなしのウクライナ人から手数料をとって、観光ビザでイギリスに渡航させる。
異国の地で彼らが寝泊まりするのはキャンピングカーだ。
違法で労働するのだから立場は弱く、ほぼ言いなり、いいようにむしり取られる。

そのようなふんだり蹴ったりの弱者の身に甘んじてまで、職を探そうとする一群が世界にはいるのだと知ることができる。

あまりに恵まれた日本である。
映画を見て「移民目線」で自らの在り方と自らの職を問い直すことも意義あることであろう。

いまする仕事はそれほど文句つけるようなろくでもないものなのか。
いま遂行する職への志と敬意はこの程度でいいのだろうか。
目指す職に至るため、それに足りる十分な努力を払っているだろうか。
いま自分が移民の身となったとして堂々と渡っていける何か技能はあるだろうか。

世界標準の「厳しさ」を知ることは簡単ではないけれど、映画などでその一端を垣間見ることはできる。
そして、そうして得た知見を自らに反映させていく。

君たちはまだ中学生だが、情報は反芻させ自分のものとする、つまり「自分ならどうするか、自分の場合はどうであろうか」と問うてこそ役立ち得るものだと早くから知っておいた方がいいだろう。

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