KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

どの道やるならちゃんとやった方がいい


野田阪神「たこや」で買った刺し身をつまみにし家内と差し向かい晩酌の時間を過ごす。
家内によればラグビー日本代表監督エディ・マフィーについて朝日新聞に特集記事があったという。

一次リーグについては南アフリカ戦だけに焦点をあて、考え得るあらゆる対策を実行した。
芝に最適なスパイクを突き詰め、気温湿度に合致したボールの状態を作り出し、当の主審を練習試合に招聘しその癖を読んだ。

その徹底ぶりに共感するところがあったようで家内は言う。
これは南アフリカ戦を第一志望とする中学受験の準備と同じようなものだ。

その時に向けてのベストコンディション作りにおいて、エディがした仕事と母が果たす役割は異ならない。

あらゆる事態を想定し、対策し得ることについては手間を惜しまない。
なるほど中学受験においては子だけが戦うのではない。
母がする状況判断や適宜な支援がかなりの追い風となる場合がありそうだ。

そうなると、精度あって的を得た対応ができるかどうかが鍵となる。
母によってその効果は正負様々となるだろう。

見識欠き労も惜しみ思いつきだけで子を振り回すといったような干渉に終始すれば、追い風どころか足を引っ張るということになるのだろう。

影響の正負を分ける母の違いはどのようなところに見いだせるだろうか。
日常の例で言えば掃除当番の景色が分かりやすいかもしれない。

当番の役目を率先して果たし好循環を生み出すような人物もいれば、ほうき持ったままくっちゃべりまわりの白眼視にも気づかないという人もある。

役割については日頃の心掛けがものを言う。
慌ててその気になって役割果たそうとしたところで、お門違いの見当違いとなるのが落ちであろう。
後者を母に持てば、子にとってはハンディとなりそうだ。

前者であれば南アフリカにも勝利する。
嫁選びの際には欠かせない着眼点であろう。


食後、映画「おみおくりの作法」を見る。

主人公はロンドン市の民生係であるジョン・メイ。
朴訥誠実を絵に書いたような人物だ。
孤独死した者の身寄りを探し葬儀埋葬の手配をするのが仕事だ。

亡くなった方の遺物を手がかりにし身寄りの者を探しその死を知らせ葬儀への参列を促す。
埋葬においても適切な場所があてがわれるよう尽力する。

誰に顧みられるわけでもなく時には厄介者扱いされるような仕事であるが、ジョン・メイは自らの役割に忠実であり一切手抜きをしない。

仕事が丁寧すぎて時間がかかりすぎるため、リストラの対象になるほどだ。
身寄りのない者など宗教に関係なくさっさと火葬にして処理件数を上げるべきだというのが上司の忠告だ。

しかし、ジョン・メイは自身の仕事の在り方を変えようとはしない。
多くを語らず、変わらぬ丁寧さで職務を遂行する。

ジョン・メイのアルバムにはこれまで弔ってきた無数の死者のスナップ写真が収められている。
故人それぞれが人生を通じ大事にとってきた写真なのであろう。
身寄りなく亡くなった者らにも輝かしいような時期があったことがそれら写真から窺える。

そのページを繰るジョン・メイの胸に去来する思いはどのようなものであろうか。

少なくとも彼は自らが取り組む仕事の意義を揺るぎなく確信している。
だからリストラを宣告されようが労を惜しまず休暇を割いてまで死者に寄り添う者であろうとする。


えっと絶句するような映画のラストであった。
ちょうどそのとき買い物から家内が戻ってきたので、ソファで唖然とし固まっている私を見て不思議に思ったことだろう。

やがて、じんわりとそのラストが美しいようなものに思えくる。

ひととき滞在し去っていくこの世において、意義を確信できる役割に邁進できれば、幸いなことであるに違いない。
ほうき持ってくっちゃべっり、気付けばナンノコッチャとなれば悔いが残りそうである。

要は日頃の心掛け。
意義をぼんやり見逃さぬよう、何であってもどの道やるならちゃんとやった方がいいということだろう。

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