KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

覆いかぶさってくる負けん気の憂鬱


その昔、週末は武庫川沿いを走っていた。
家内に連れられるときもあったし一人で行くこともあった。

あるとき、子を伴った。
完全に走り負けた。
数年前のことである。

体力に自信がない訳ではなかったが、二人の健脚に全く歯が立たなかった。
私にとってはどちらかというと喜ばしいことであり、家内に楽しげに語ったものである。


主人より子の方が体力で優っている。
このような話を家内がしたときに、まったく予期しない意外な反応が返されたことがあった。

「いやいやうちの子の方がすごい」

なんと相手は張り合ってきた。

よくよく考えれば、その相手の反応は一事が万事その調子。
様々な言い方ではあっても、とどのつまりは「うちの方が上だ」、そう言わずにはいられない。

運動不足の夫が主題であっても、そこに負けられないと反応する要素をキャッチすれば、聞き流すことができず話が逸れても勝負を挑まずにはいられない。

生来の負けず嫌い。
実際にそんな人がいるのだ。


子の健脚といった話に留まらない。
なんにでも張り合ってくる。

家の大きさ、調度、夫の職業、学歴、子の学力、住環境、ブランドの持ち物、語学力、乗っている車、みやびな交友関係、、、較べられるものであればすべてが切った張ったの勝負の俎上にあげられる。

だから普通に話していても気づかぬうち地雷を踏んで相手の負けじ魂を刺激してしまうことになる。

あらゆる箇所で覆いかぶさってくる。
それを不快に思って下手に応酬してしまうと会話はますます脱線し不穏な空気を帯び始める。

ご本人には自身の勝ち気な反応の傾向について自覚はない。
躾の行き届かぬワンちゃんがすれ違いざまその優位を吠えて主張するようなもの。
程度の悪い本能的な発露というしかないだろう。
犬にその反応の良し悪しなど分かるはずがない。


子ども時分であればよくある話だ。

うちの親は社長だ、白浜に別荘がある、家に札束がある、外車に乗っている、嘘か誠か分からないような他愛のない見栄を張り合うようなことが子どもであればよくあって、これはまあ、誰でも通る道と思えば微笑ましい。

大人になればある程度は精神的にも洗練されて、そんな村人的な、世間の狭い自慢などあさましいものであると学び、かつそんな下らないことで張り合うような暇もなく、子どもじみた虚勢の火は静かに消えていく。

しかし、何かを学び損なったのか、なかには大人になってまでちゃらついた幼児性を肥大させ、無為な対抗心のようなものを亢進させ続ける人があるようだ。
誰かの不幸ですら喜びそうなその低劣な精神にはもはやつける薬はない。


そのような誰かと生涯無縁とはいかず、実際に君たちが相まみえる場合もあるかもしれない。
実に下らないことではあるが、念のため適切な対処について記しておく必要があるだろう。

謙譲の美徳の我が国である。
そのような相手と対した場合は「勝ちを譲る」に越したことはない。
これに勝る対処はない。

さらさらとした清流のように平然穏やか、自ら進んで勝ちを献上してしまう。
なんの事情か急いでいる風な人があれば、行き先も問わず「どうぞお先へ」と気持ちよく道を譲るようなものである。

張り合っていらぬ摩擦起こし万一にでも恨み買うより遥かにいい。
失うものは何もなく、おまけに相手も機嫌が良くなる。
いいことづくめだ。


譲れない勝ちなどそれほどない。
通常は自らが対峙する局地戦で一進一退、それだけで手一杯だ。

大切なことは数少なく力は分散させない方がいい。

気前よく勝ちは譲って、貴重な資源である負けん気は自身の闘いのためにとっておこう。

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