KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

怖いものなどない、内面に頑丈な殻が備わる。


月末の金曜日、仕事上がりに大福湯のサウナに寄る。
白く分厚い雲が空一面を低く覆う。
週末の解放感に冬間近という寂寥が忍び寄ってくる。

冬は激務を伴ってやってくる。
単に長時間働くだけのことなら何てことはない。
デスクワークする持久力については長く鍛え上げてきた。
世界水準の域だと自身を高く買い被っている。

冬の業務につきまとう精神的重圧の方こそ私を少しばかりたじろがせる。
マンパワー増した事務所であるからこの冬は余力もって乗り切ることができる、そのような楽観的見通しを強くする一方で条件反射みたいにピリピリしたような切迫と緊張が込み上がってくる。

無事に役目果たし気を揉んだあれやこれやはすべて取り越し苦労であったと脱力し笑って迎える大寒の頃が待ち遠しい。


この日、大福湯の有線のチューニングは上々であった。
サウナに入ると中島みゆきの曲が流れ次に荻野目洋子が続く。

荻野目洋子と聞けば世間は荻野目慶子を思い出すのであろうが33期であれば例外なく乾くんの横顔が脳裏を過ぎるはずである。
聴き馴染んだ曲がご無沙汰していた過去の記憶を懐かしく呼び覚ます。

そこ、そこ、まさに痒いところに手が届くといった感じで流れる曲が古きをたずねて歩く。
汗がじんわり心地いい。
中村雅俊が青春の歌を唄い、そしてさだまさしの曲がかかる。

さだまさしを愛して止まなかった中学生の池尻くんのことが思い浮かぶ。
不思議な縁であるが時は巡り池尻くんとうちの子は同じ学校だ。

さだまさしが歌うのは名曲「驛舎」。
歌詞がきちんとした言葉から成っている。
言葉が情景を膨らませる。

「駅に降り立てば、それですべてを忘れられたらいいね」
都会で傷ついた誰かを春間近の故郷が包み込むように迎えてくれる。
どこまでもやわらかな和の景色が空気感まで伴って目に浮かぶ。
見慣れた山があり川があり木々に残る雪の白さが陽の光を照り返す。
心癒される。


しかし、私は現実の一丁目一番地に立つ壮年の働き盛り。

心くつろげばくつろぐほど気がかりなあれやこれやも同時に浮かぶ。
四十超えた私は知っている。
すべてが許され、すべてを受け入れ包み込んでくれるような「駅」など歌にあっても現実には存在しない。

野ざらし雨ざらし。
私たちにはむき出しの感知器のようなものが括りつけられていて、それが課題なのかありとあらゆる感情の責苦に容赦なく降りかかられる。
逃げ場はない。

こめかみを貫くかのような心配事の数々。
胸えぐられるような喪失。
心引き裂かれるような悔恨。
もはや万策尽きたという無力感。
脳天ぶっ潰されるかのような絶望。
そして死。

強弱と長短があるだけで誰も免れることはできない。

たまに慈しみある温かな雨が降れば僥倖。
しかしそれも束の間、またもや烈しい風雨に晒される。

誰もがそのような境遇にあり、これはもう人類を貫く共通体験のようなものと言えるのだろう。


自らを癒やし再生してくれる「故郷の駅」のようなものがあるのだとすれば、それは自らの内においてのみ見いだせるのであろう。
どこか他の場所を探しても見つかるはずがないものであり、誰か他人に求めたところでありつけるものではない。

それは自らを振り返り自らを立て直す原点のような場所として自身の内に備わる。
自身が人心地つける最愛の地でありいつでもそこに還って行くことができる場所。

いざとなればそこに退避する。
そこで自らを点検し置かれた状況を虚心に読む。
知恵を結集し対策を思い巡らせ、同時に絶望を先取りするくらいまで開き直る。
この地がありさえすれば絶望ですら許容の範囲内に収まる。

精神の鎧を装着しなおし風雪に耐えるためのメンタルをセットする。
やがて雑念が消え静か無の境地が訪れる。

現実を見据える。
投手に例えれば投球前のセットポジションの態勢。
あとは狙い定めてコンパクトに現実に対し投げ込んでいくだけのこと。

打たれたって、めった打ちであろうが構わない。
学びが訪れ経験値が増すだけのことである。
内面はますます充実する。


流動的な世界で心の安寧を保ち次の一手をロジカルに見出し続けるためにも自身の内なる「駅」は意識的にイメージし構築すべきものであろう。

内なる身の置き場が確固とすれば外界への耐性が強化され幸福の感度が高まるに違いない。
それに加えて精神的な部分で他者の足手まといになることも依存することも少なくなるはずだ。

降りかかる苦難のあらかたは内側での一呼吸の間によって解毒消化され許容値内のありふれた雨風へと変貌していく。
雨が降ろうが槍が降ろうが大抵のことは屁のカッパという境地となる。

だから子どものうちからあれこれたいへんであるというのはまこと慶賀すべきことであろう。
場数が内面の「始発駅」を構築し、その耐震を強化する。

どの道、逃げ場はどこにもない。
向き合っていけば内面は自ずと強化され、どんな過酷な状況においても心のなかでは穏やか涼しい風が吹いているということになっていく。

ヤドカリは外に殻を持つけれど、人の場合はその内部に不可侵の殻が見事出来上がる。
そしてその内に宿った何かを人の系譜につなげていく、突き詰めればそんな「運び屋」みたいな役割を負う存在が人というものなのであろう。

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