KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

義父と飲む

昨晩、義父と飲んだ。
久しぶりのことであった。

半年ぶりくらいだろうかと日記の検索窓に「義父」と入れると飲みの記録が即座立ち現れる。

前回は去年の10月だ。
まるまる一年以上経っている。
その前は7月であり1月であり一昨年の7月である。
日記の日付を追い記憶を辿る。

記憶のなかの時間感覚ほど不確かなものはない。
もっと頻繁に同席し痛飲していたという感触であっても実は年に一回や二回程度のことに過ぎず、日記の時間幅を見て一回ごとの酒席の貴重さを改めて思い知ることになる。

義父に向け昨晩話したことであるが、はじめて電話でその声を聞いたときの怖さといったらなかった。
低音で口数少ない受話器の向こう側の人物は鬼、魔神の類に違いなかった。

義父が電話に出る度、私は電話を切りたくなったものであった。

そのとき私は29歳。
いま46歳なので、引き算して時の経過の厖大を知り一瞬言葉を失う。

まるで浦島太郎。
義父と何度か飲み重ねているうちいつの間にやら中年まっただ中となり一方の義父は70代の老境に入った。

瞬く間に過ぎたのと同じ分量の時間が更に経過すれば今度は私の方こそ誰かの義父となる。
子らについては、誰か義父となる存在と酒酌み交わすといった話になっているはずだ。

なんて早いのだろう。
単に様々な事柄を記録するだけでなく、日記には、時間についてその速さを測るスピードガンのような機能もあると言えそうだ。

めまぐるしく過ぎる時間のなか、義父もまたしっかと私のうちに刻印された人物の一人であることは間違いのないことだ。
出会えたことを心から感謝している。

本当に優しい人であり、本当に私は良くしてもらった。
カウンター越し、店のママさんに私はそう話す。

おまえ酔い過ぎや。
義父は一言そう言った。
その低音を発する顔には柔和な微笑があった。

表情を一見すれば、鬼、魔神であったことなど生涯一度もない人物であると誰にでも分かるだろう。

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