KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

クルマを停め電話を4件折り返す


大阪星光OB某期のちょっといい話。

カラダに違和を覚えた。
不吉な予感が走る。
自身も医師である。
只事ではない。
そうとしか思えない。

海外赴任中だ。
異郷にあって信頼おける専門家に心当たりがない。

日本にいる旧友のことが頭に浮かぶ。
人づてにメールアドレスを伝え聞き早速連絡を取った。

メールのやりとりが30有余年の時間をたちまちのうちに巻き戻す。
10代の少年の頃の仲睦まじさがよみがえる。

心通った言葉が彼の地と此の地を往還する。

症状を聞くやりとりを経て旧友は状況を把握した。
何通りものソリューションを提案する。
さすがその道のエキスパート。

とんぼ返りで日本に帰国し旧友の診察を受けることになった。

現地であれば大掛かりな処置が施され入院も避けられなかったであろう。

しかし、旧友はその医療機関ハエ抜きのエキスパート。
総力が結集され日帰りちょちょいと済む話となった。


そのような顛末について報せるOBのメールを読む。
大事に至らず何よりだ。
卒後更に交流深まる大阪星光。
OBを縦へとつなぐ大忘年会の日が刻一刻と迫っている。

夕刻運転中に着信が相次ぎ、私は路肩にクルマを停めたところだった。
電話が4件も立て続いていた。

電話が鳴り続けば気が急いてしまう。
運転中も気が気でなくなる。

このところはメールでのやりとりが増えている。
かつてとは様変わり。
メールが主体で、電話の方が例外的な位置づけとなりつつある。

だから電話が鳴ると身構える。
すわ、一大事か、と張り詰める。

応答できない電話が4件も続けば焦燥にかられ居ても立ってもいられない。
適当なスペースが見つかり次第、急停車しなければならないことになる。


例外的であるから電話する場合においては別途の気遣いが要求される。
誰しもがそう心得なければならない時代となった。

相手はいまデスクワーク中かもしれない。
であれば、わたしがふと掛けた電話によってその手を止めてしまうかもしれない。

ならばメールを使った方がいい。

書類作業とメールの処理はシームレスだ。
パソコンで書類を処理する流れの一環にメールは親和的に溶け込む。
行きつ戻りつ対応でき、何なら後回しにでもでき、手を止めることがない。

その他、相手が移動中ならわたしの何気ない電話によってその足を止めてしまうことになるかもしれない。
面談中なら無用な横槍、おじゃま虫となる。
食事中なら喉がつかえて咳き込むかもしれず、味わう咀嚼を端折って噛まず飲み込むようなことをさせてしまうかもしれない。
もし買い物中なら財布を落とす原因にもなりかねない。

そう考えると、電話はためらわれる。

よほどの重大時、必ず相手の声を聞いて確認しなければならない事案や、ニュアンスを共有しなければならないといった場合に限られることになる。


現代の新しい電話マナーについて識見ある方からの連絡については、その気遣いと人としての優しい感性に恐れ入ることが多い。

あらかじめ電話する旨のショートメールがあったり、電話のやりとりが延々とすれ違いとならぬよう応答の時間幅を絞りこんでくれたり、込み入った話である場合には話す内容の概要について事前にポイントだけメールしてくれたりする。

わたし自身、それら心遣いから日々大いに学ぶ。

電話というはある種警報器のようなものである。
警報についてあらかじめ心構えしておけるのであれば、取り込み中の際に予告なく鳴り始めた場合の切迫を免れることができる。
そうであるなら実に大助かりだいう人は少なくないに違いない。


着信履歴の順に1件1件折り返していく。

最初の電話は入金のお礼であり、次の電話はFAXしたことの連絡であった。
ほっと胸をなでおろす。
災禍は起こっていない。

引き続き折り返す。
先日作成した外国人のための上申書が功を奏したということであった。
いたく感謝され、くすぐったくも素直に嬉しい。

最後の電話にかけ直す。
新規仕事の依頼であった。

仕事の依頼はほぼすべて電話を通じて為される。
電話がなければ干上がってしまう。

神様仏様電話さまさまである。

f:id:otatakamori:20151121111933j:plain