KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

来年もまた最も身近なところには星光生といった景色が続く


冬至前夜、急激に気温が下がったのだろう。
武庫之荘着、午後8時。
駅を降りると霧が立ち込めている。

街を彩るイルミネーションが光源となって地上を覆う水の粒子を照らし出す。
飽和した空気によって街路に漂う緑の香が濃厚さを増す。

南へ向いて歩いて5分ほど、まもなく右手に「秋田こまち」が見えてきた。

店に入ると谷口の姿があった。
週明けの診察業務はハードであったようだ。
ほどよく疲れ、酒席を前に心地よい弛緩にひたっているという風に見える。

二人で先に始めることにした。
サッポロ生ビールで乾杯する。

まもなく岡本が現れた。
例によってスポーティーな出で立ち。
どう見てもアスリート。
医師には見えない。

店にはクリスマス・ソングが流れている。
和気藹々としたムードにとてもよく馴染む。

気兼ねなくくつろいでポツリポツリと言葉を交わす。
湖面へと気泡がゆっくりと浮かび上がっていくかのよう。

そのように静か話し込む星のしるべ男子の忘年会in尼崎。

最後に現れたのは高岡先生だった。
診察が長引いた、クルマ飛ばして来たという。
彼一人、烏龍茶での乾杯となった。


ニュートレジャーという英語の教材がある。
長男は中1のときにこれを4回こなした。
二男も全く同じ教材を学校から渡されている。
しかし、今もって新品同様。

勉強への目の注ぎ方で言えば、長男の学校には凄みさえ感じる。
週単位の短いストライドで着実かつ漏れが極小。
継続することでの累積差は甚大となる。

これを詰め込みだと難癖つける人は、何かを着実に積み重ねることで得る成果について経験がないのであろう。
知らないからその到達と収穫についてイメージすらできない。

親とすればこれほど心頼もしいことはない。
英語については多少腕に覚えのある私であるが、まもなく中3の息子にあっけなく抜き去られることだろう。

二男については自助努力。
我らも教わった。
天は自ら助くるものを助く。

長男の学校があまりに精出しすぎなのであって、そんな稀なケースを基準にしても始まらない。
母校には他校の良き点を大いに取り入れて欲しいとの思いもあるが、それを待つといった悠長なことはしていられない。
親は親でお手本真似る手立てを別途考えることになる。

中年が集まれば子のトピックとなる。
私はそのような話をした。
京都の名門洛星についても星同士似たようなものだという話があったことも付け加えておくことにする。


同席した面々はいずれも海外赴任経験者、私もあちこちほっつき歩いた。
そして英語など中1から学ぶので十分だという認識で一致している。

早くから外国語学習を始めてしまうと下手すると数学など論理的な思考を要する分野に困難が生じるといったケースがあるとも聞く。
そうなっては取り返しがつかない。
何のために何をやっているのか。
リスクは侮れない。

おそらくは言語においても利き腕として機能する軸の確立が最優先なのであろう。
よほどの才ある子は別にして、思考力の礎として自我の根幹となる母国語をしっかりと身につけさせることが何より肝心。
親はそう心得るべきなのであろう。

人格的な基礎がある程度整う中1にでもなれば、他言語による思考の混濁といったことは生じ難い。
安心して習得に向け邁進できるし、将来の実用を考えてもそれで十分な域に達する。

幼少時に英語に触れる経験があったかどうかよりも、継続的な努力を重ねる素地の涵養があったかどうかの方がはるかに大事なことと言える。

外来語遊びと変わりない戯れの英語ごっこに時間費やすよりは、ご破算で願いましてはと算盤でもはじいていた方がよほど意義ある幼少期となることであろう。


高岡先生の運転で帰途につく。

次回は芦屋との声が谷口から上がった。
芦屋であれば阿部もタローも呼んで盛大にやろうという話となる。

来年には海外赴任中の星のしるべの友人が一時帰国する。
労いの会を催さなければならない。
その執刀医、同じく星のしるべをゲストに迎え、また集まることになる。

来年も最も身近なところには星光生といった景色が続くことになりそうだ。

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