KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

職業に貴賎はなくとも陰陽はつきまとう


最近はビートルズがお気に入りのようである。
私にとっては懐かしの名曲、二男にとっては今が旬とでもいうべきナンバーがリビングに流れる。

私は晩酌の鍋をつつく。
入試の手伝いに駆り出されることになったという二男の話を聞いているとインターホンが鳴った。
団欒の時間に水が入って小休止。

こんな時間に一体誰だろう。
隣家のお嬢さんだろうか。

応対するやりとりに耳を傾ける。
二男も英語の勉強の手を止める。

新聞の勧誘であった。
契約して欲しいという。

どうかお願いします。
何とかお願いします。

懇願するような口調にいたたまれない気持ちとなる。
気の毒だが新聞は不要だ。

しかし玄関口に立つ青年は簡単にはあきらめない。

一ヶ月だけでいいんです。
この仕事を始めたばかりなんです。
一ヶ月だけ何とかなりませんか。

申し訳ありませんが不要なんですと何度も答えてお引き取り願う。

リビングに沈痛な空気が残った。
青年はこの後もあたり一帯で断り続けられ、それでもめげずに寒空のもと足を棒にするのであろう。
それを思って胸が締めつけられた。

知の象徴といえどもその底辺はこのような有り様なのである。

職業に貴賎なしと言うがそれは綺麗事であってくつがえし難い陰陽があるのは誰もが骨身に沁みて知っていることである。

エゴイズムだと十分承知しつつも、我が子がその陰を担ってひどくつらく詫びしい思いをするのだとすれば耐え難い。

誰かはその業務に携わなければならない、そうと知った上でもやはり、自分の息子がマッチ売りのごとく低賃金でどやされ小突かれ媚びへつらうのだとすればこんな悔しいことはなく死んでも死に切れない。


我が家などかなり活字に親和的であり、日常に活字は自然と溶け込んでいる。
私についても仕事上読みこなす文字数はかなり多い部類に属するだろう。
子らにとっても活字は身近な存在だ。

そうであってもしかし新聞を読むような暇はない。
あれやこれや忙しく新聞があっても読まないどころかめくらないまま日々が過ぎるというのも珍しくない。

だから新聞の購読をあるときにやめたのだった。
ふと目が留まった際、コンビニで買って済ませるので十分でそれでも読まない場合すらある。
ゆっくりめくるとしてもせいぜい日曜くらいのものである。
いつかもっと時間ができればじっくりと新聞と向き合い過ごす優雅な朝を迎えたいと思うこともあるが、仕事し続ける限りは無理だろう。

読んだ箇所は青鉛筆で大囲みし家に持ち帰ってリビングに置く。
時折は食事がてら子らも読むようであるがたいていは鍋の敷物として使われることになる。

読んで得したと思うことは稀であり読まずともテレビもラジオもネットもあって世情に疎くなるわけでもない。

新聞がもっと興味深い何かへと変貌を遂げない限り青年の苦戦はその度合を増し続ける違いない。
いっそのこと青年は転身した方がいいのではないだろうか。

根性という資源をもっと違うところに向ければ陽へと浮かぶ瀬もあるはずである。
陰ながら切にその健闘を祈りたい気持ちでいっぱいとなる。


週末、東京へと向かう。

大学の恩師が還暦を迎え、そのお祝いがある。
ものはついでと引き続き、懐かしの面々集まっての飲み会がある。

いまから再会の時に胸が膨らむが、久々に顔を合わせ旧交温めることだけを楽しみに思うのではない。

よくよく考えれば、息子二人の父である身。
実は無意識裡、胸のうち探れば、各所要所を占める彼らに挨拶しておこうという気持ちがあることが分かる。

子らが長じて何を目指しどのような職を得るのか今から知る由もないけれど、都にて活躍中の仲間はなべてかなりの実力者。
ひとつよろしく、と声をかけるに如くはない。

彼らの現時点での達成をことほいで我が喜びとし、そして、そのパワーの一端を我が家へと持ち帰る。
それを子らに振りかけようと言うのであるから、まあ、私も健気なアホウ鳥。
踊るアホウに見るアホウとは言うけれど、古今東西通じ親に勝るアホウはない。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20160114085344j:plain