KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

忘我の境にあるとしか思えず目を覆う


象徴的なのは夜の迎えであった。
その昔、子らが通っていた塾でのことである。

迎えに来た親は受付の帳面に記名するのだが、そのための列が二つに分けられていた。
灘コースの列があって、もう一方の列には灘以外との表示がされてあった。

単に実務上、その方が管理しやすいからというのが分別の理由であるとは分かっても、入国審査でEU国民と非EU国民の列が隔てられるかのような場違い感を覚えた父兄は少なくなかったであろう。

しかしだんだん慣れてくる。
まるで空気のように、一つの価値が当たり前に支配する空間にいると、人はその環境にどんどん馴染んで当初覚えたような違和感は薄らいでいく。

そしてなかには塾への信奉をますます篤くしその価値に過剰適応する者まで現れるようになる。


灘は凄い学校である。
友人の子らも通っているが、真似しようにも真似できないほど頭のいい子、まさに天与の恵を受けた者だけが属すような場所であると言って過言でない。

そうと分かった上で子を持つ親の反応は二つに分かれる。

望んだところで入れるはずなく到底うちには縁がないと距離を置く層がある。
確率を勘定すればその対応こそが理性的と言えるかもしれない。

今年33期友人の子も灘に無事合格を果たしたが、そもそもの出来が凄いのであって、その天賦の才が艱難を踏破してこそ到達できるような域であり、そうでなければたとえ血の滲むような努力を重ねようが及ばない。

しかし常人では手の届く世界ではないと断じてしまえば塾は立つ瀬がないので、やってやれないことはない、絶対合格、念ずれば通ずと鼓舞し持ち上げる。
それで俄然やる気を触発される層が生まれる。

やる気になればなるほど固執することになって、しかしハードルの無謀なほどの高さは変わらない。
なかには踏破する者もあるが、いかんせん狭き門、常人においては例外的なケースに限られ多くが涙を飲むことになる。

このミスマッチは、どう理屈付けようと不毛であろう。
捲土重来に結実する良き経験、必ずや将来の糧になるといったところで、根本的な虚しさは拭えない。
言わば別人に成り代わるほどの無茶に近い話であり、自己実現とはほど遠い。

成長過程の子供盛り、二度と巡ってこない子ども時代に、自身にもっとフィットしたやりたいことやれることが山程もあったに違いない。
それを犠牲にして得たのが不本意な悔し涙であればその無念は結構長く尾を引くことになるだろう。


何をぶら下げられようとそれがどうしたと一歩距離を置く見識が親には必要であろう。
保護者なのである。

塾がどう言おうが、誰がどうであろうが、合理的な見極めと、さほど無理せぬ程度で得られる勝ち試合のプロデュースが親の腕の見せどころと言えるのではないだろうか。

もちろん奮闘も大事であるし、試練も不可欠ではあるけれど、まだまだ年端行かぬ子供であって、本番は先の先のこと。
しかも向き不向きは人によりけり、それこそ個性の領域である。

親が真っ先にその気になって目の色変え大見得切って先導し叱咤し締め上げ、苦悶と悪夢に苛み挙句の果てには傷つけるとなるのであれば、ある種の虐待と言えなくもない。


だから当然、子の性格によっては、受験など時期尚早と判断する冷静さだって必要となる。

一斉に一つところに走りだし少ない果実を分捕り合うという性分は遺伝子に組み込まれたヒトのサガとも言えるのだろうが、その合戦に実のところ子は全く無欲無関心であるかもしれないし、心から子の幸福と人としての成長を願うのであれば、いまは泳がせもっと腰が座ってからの大一番にしようと見通した方がいい場合もあるに違いなく、そのような良識の親に恵まれれば子は幸いであろう。

深く根を下ろした価値観を欠く場合、表面のさざ波程度の他愛ない事柄にさえ人は右往左往し、そもそもの目的すら問うことなく、まわりがそうだからという理由だけで追従しがちとなる。

例えば算数ができないとなれば、他の何かに注力し算数などできずとも全く問題はないという道筋を見出し示して上げるのが親の責務として大事だと思えるが全く正反対、周囲と見比べこれは一大事だとあたふた騒いで子を小突き、なかには怪しげな効能謳う輩の思うまま、易々とその手に乗ってお金つぎ込み、そして効果は上がらず時間をドブに捨て、子の恨みを買うだけ、というような皮肉な話が後を絶たないということになる。

時に消費者庁に通報すべきではとも思えるような見え透いた虚偽まがいの口上であっても、そのご高説に頭を垂れてまるで思う壺、弱みに付け込まれて巻き上げられる。
商売する側からすれば、こんな容易い相手はないというものであろう。

最近の受験ブログのなかに、まるで何かに取り憑かれたのか、忘我の境にあるとしか思えず目を覆いたくなる内容のものがあっていたたまれない気持ちとなった。
頭を冷やすべきは大人の方なのだろう。

視野狭窄とならぬよう親が視界を広く保って、その広さを子と共有してこそ子は自ら学び余力残しつつその子ならではの成長を遂げるのではないだろうか。

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