KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

そこに運命の出会いがあるかもしれない


子らが揃って留守になる三月末、夫婦で旅行でもと話し合っていたが、年度末にかけ仕事は立て込むばかりで忙しく持ち場を離れるなど十年早いといった状況であった。

このところは、わたし自身が手足動かして業務でてんやわんやするといったことはなくなった。
しかし、あくまでも責任者はわたしであって、そこにいなければ諸問題は片付かず話が前へと進まない。

誰かに運命委ねたみたいに管理され指図されることを窮屈に思ってそのような世界に背を向けて幾星辰、小舟に乗っての小商いも結局のところは波風に翻弄されるという意味において何も本質は変わらない。

決して楽ではないけれど、上司には腹が立っても、波風に感情害されるといったようなことはない。
精神的に健やかでいられるという点で、いまの方がずいぶんとマシ、わたしに合致していると言えるだろう。


四月に入って業務量が少し落ち着き沈静化した。
ひとときの凪のような時間、事務所の不要紙スペースに溜まって積み上がった新聞の上澄みをとり、コーヒー片手にめくっていく。

新年度になって各紙紙面が一新されたが、朝日新聞がひときわ光彩を放っているように思える。
夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」の連載が始まっただけではなく、各企画に、日本に影落とす諸問題を真正面に見据え、情報発信において羅針盤足ろうとするような気概を感じる。

紙面一面でアベノミクスによって深刻化していく経済の負の連鎖の現状が伝えられ、社会面においては高額化する不妊治療の問題が取り扱われる。
前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカさんが清貧の政治思想を語り、佐伯啓思さんの評論では効率主義、成長主義、能力主義、自由競争などの価値観によって組み立てられたアメリカの経済学は果たしてわれわれを「幸せ」にしたのかといった問題提起がなされる。

一方で「ミダス王の誘惑」という連載がはじまり、蓄財が手段ではなく目的となって物が売れず生産も増えず、よって経済は成長せず働く機会は増えず賃金が上がらない、経済の健全な循環を回復するためにはお金を使うことが必要だろうといった切り口で日本経済停滞の原因が語られる。
どのような論の展開となっていくのか、連載の行方から目が離せない。

紙面を通じて時代の空気が直に流れ込んでくるかのようである。


わたしには子があって、そこに日常の手応えのようなものを感じ、日々を幸せに思って過ごしている。
しかし、世は、わたしのような脳天気色だけで構成されているのではない。

今朝の折々のことばでは子を失くした方のとことん切ない言葉が紹介されていたし、紙面めくれば親の気持ちは如何ばかりであろうといった卑劣な誘拐拉致事件が報じられ、そして不妊治療に悩む方々らの声が伝えられている。

何もできないにせよ、せめて少なくとも、様々な思いによって構成される世であることは知っておかねばならないことであろう。

朝日新聞に引き続き毎日新聞をめくる。
大阪のNPO法人がネットを使った養子縁組のマッチングサービスを開始したとの記事があって目が留まる。
「かけがえのない命と愛情あふれる里親とを手軽に結びつける」と謳って養親希望者の登録を募り、そこに記されたプロフィールや資産や収入などで判断し、生みの親が養親を選択するというシステムだ。

あまりに手軽すぎれば人身売買的なリスクも生じ得るのであろうが、それを上回るメリットの方が大きいであろう。

どこにでも運命の出会いはあるはずで、そのマッチングが促進されるなら良いことであるに違いない。
人工中絶によって命絶たれる子の数は減るかもしれず、子を待望する夫婦の願いが叶うといったことも増えることだろう。

子は愛されるべきであり、大人には愛情を注ぐべき存在があった方がいい。


まもなく二男と合流し買物を済ませ、そして家内をピックアップする。

向かうは伊丹空港。
夕刻、そこで長男を出迎える。

長かった彼の一人旅がようやく終わり、久方ぶり我が家の四葉クロバーの葉が揃う。

カナダに渡った直後、うどんが食べたいと彼はもらしたことがあった。
家内はその言葉を忘れていない。

いま家では特製うどんの仕込みが佳境に入ったところであろう。

 

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