KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

人目に従属する社会


大阪各地で入学式が催された春皮切りの日、雨が降り続いた。
夕刻近く雨脚が弱まり止むのかと思いきや、サビの部分で歌手が声を張り上げたみたいに風が吹き荒れ雨が勢いを増した。

注文してあった寿司を二男に持たせクルマへと急ぐ。

せわしなく動くワイパーと絶え間なく打ち付ける雨で視界は混濁している。
車列の動きに合わせアクセルとブレーキを慎重に踏み変え遅々と進む。
普段の倍の時間を要してようやく自宅にたどり着いた。

家は頑丈だ。
風が吹き付けホースで放水されたような雨のなか、クルマはがたつき何とも心許ない頼りなさであったが、家は大違い。
雨であれ風であれ、どんと来い。
小兵に胸貸す横綱みたいに揺らがない。

子らを前にし食事する。
キッチンカウンター越し、家内が手料理を次々追加していく。
男子交代で受け取り、皆で分け合う。

このアジ、美味しいね。
そういった他愛ない言葉が行き来する。

ふと思う。

いつの日か殻を破るように彼らはこの防波堤を突破し別の世界を住処とするようになる。
彼ら不在の我が家を思うと寂しいような気もするが 慶賀のいたりというべきものであろう。

もし万一いい歳してまでここで安穏としているとしたらそれこそ一大事。
成虫の成りそこねを前に、心安らかではない老後を過ごさねばならなくなってしまう。


まずは当たり前の在り方として家族のもと暮らし地域で育ち言葉を覚え教育を受けてきた。

すべてを吸収し続けるような子供時代はやがては終わりを告げ、今度は吸収してきた何かを矯めつ眇めつしこれらは何なのかと自問自答するようなプロセスが訪れる。
その過程を経た後ようやく、ささやかであれ何か価値を体現し発信する側に回れるのであろう。

吸収し続けてきた既存の慣習や制度や価値観などは、たいへんに重要なものである。
たやすく切って捨てられるような薄っぺらなものではない。

それら無形の何かは人一個の思惑をはるかに超えた強力なコードのようなものとして作用し、この社会の基盤を成している。

根本的には言葉の話に集約されるだろう。
もとを辿れば言葉に行き着く。

どの言葉一つとっても、単なる記号に留まらない。
意味が附随し価値が内包されている。

無色透明無味無臭な言葉などなく、美しく響く言葉があり、一方、醜悪で異臭漂わるような言葉がある。
言葉自体に、よし、あしという色が既に付着しているのである。

言葉が、価値を構成し概念を精緻にし思考に筋道を通す。

だから、言葉の吸収を欠いてはそもそも話が始まらない。
つまり、母国語である日本語をしっかり身に付けることが先決だということになる。

そして日本語という言語自体が一つの制約条件なのではといつか気づくときが来るだろう。
日本語というものがくびきとして作用する場合があっても何ら不思議なことではない。

だから、そこに外国語を学ぶ意義が生まれてくる。
別の言語世界が拓ければ、事象や価値を複眼的に捉えられるようになるだろう。
それは豊かなことであるに違いない。


世界は広く、その一端に触れて翻って見たとき、日本での在り方に薄ら寒いようなことを思うこともこの先少なくないだろう。
日本で尊ばれる価値が、別の世界では鼻もかけられない、犬も喰わないといったことは山ほどもあるに違いない。

自らが信じていた価値が局所的一時的なものに過ぎず、ユニバーサルな視点で見れば、何ら普遍的な価値を有しない、あるいは価値の次元が著しく低いといったこともあるはずで、そんなことに必死になっていた自分自身がおかしくて仕方ないとなることもあるだろう。

自分自身の価値観を反芻し思考を行きつ戻りつさせるなか知覚は再編され、高次の価値観のようなものがやっとのこと姿を現してくる。

そのような過程をこそ成長と呼ぶのだろうと思う。

だから現段階については成長までの片道の行程に過ぎない言えるだろう。


日本はやたらと人目を気にする社会である。

自身の価値観など二の次、三の次。
世間様がすべてであるような社会だ。

人様がこさえた価値の山がそこらいたるところに築かれ、それらが指標となって焚きつけられ皆が骨を折る。
他人の序列のなか悶々汲々とすることに疑問が呈されることは少ない。

そして人目を気遣ったところで、人目がこちらを気遣ってくれることはない。
不幸に遭遇すれば、満面の笑みでほくそ笑むのが人目の本質である。

そのような薄気味悪いものが実際の拘束力を持っているのが日本社会の真実の一面と言える。

そう知っておき、人目に配慮する必要がある場合を除いては、人目など犬にでも食わせろと語気強めて取り合わないことである。
一体何が悲しくて、他人の目に映る姿を思い煩い、他人の山を駆け上らねばならないのだ。
虚しいにもほどある。

自身の価値を構築する過程では孤立感を覚えることも、不安に苛まれることもあるかもしれない。
しかし、人が唯一、自分自身であることを清々しく思い、自身の幸福を余すことなく甘受し堂々と胸張れるのは、自身独自の価値観が確固としている場合だけである。
そのような状態を英語で言うなら、インディペンデントということになるだろうか。
日本語ではそれを端的に表す言葉が見当たらない。

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