KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

プルル震えて鳥肌立つような決然と強靭

未明から夜更けまでぶっ通しで仕事する一日となったが終始心は穏やかだった。
長年の記憶の積み重ねは侮れない。
今日は土曜日、そのような意識があってカラダは芯からくつろいでいた。

帰途、鳴尾インターで降り熊野の郷で風呂を済ませる。
後は家での晩酌が残されるのみ。

子らの様子を各自の部屋で確認し声をかけ、ゆったり座って土曜夜の時間に揺蕩う。
ハイボールを片手に鶏刺しをつまんで、一人映画を見始めた。

タイトルは「父、帰る」。
ロシア映画である。

映像が素晴らしい。
空や海の青が色鮮やかで目に心地よく、草の匂いを含んだ微風が優しく頬をなで、心はたちまち画面の向こう側へと吸い寄せられた。

日常に埋没し感じ損ねているだけで、わたしたちは美に取り囲まれている。
感度鈍った五感が映像によって活性を取り戻してゆく。

メッセージ性をたっぷり含んだそれら映像が物語を牽引してく。

ストーリーはいたってシンプルだ。
長く不在であった父がある日、帰ってきた。
息子二人が父に率いられ旅に出る。

細かな設定などは説明されず描かれない。
いつ頃どの地域の話なのか皆目見当もつかず、登場人物の社会的属性といったものや彼らを取り巻く様々な事情について一切窺い知ることができない。

余計なものがすべて濾過され削ぎ落とされ、本質的な要素だけが画面に抽出されているとも言えるだろう。

映画がそこに描き焦点を当てようとしているのは「父」である。
制度としての父親、といったようなものではなく、人類史という長い長い時間のなか受け継がれてきた、普遍的とも言える「父性」の姿を映像に収めようとしている、そう思えた。

社会が構成されるはるか以前、われわれが単なる生物から人としての特質を帯びていく際に暗黙知のように備えたのであろう「父性」については、日頃意識することはなくとも、不可欠な何かとしてわれわれのカラダに刻みこまれている。

社会が安全で快適さを増すなか、出番こそ少なくなっているが、サバイバルする上で失ってはならないものであると、誰に教えられたわけではなく、わたしたちはカラダの芯からそのことを知っている。

映画によってその父性が強く喚起される。
連綿と続く父性の大地に接続されたかのよう、父性の鎧がカラダを覆って腹が据わり内側の出力強度が増してくる。

父性の愛情は、母性のような直接的で庇護的な愛情とはその性質を大きく異にする。
サバイバルに直結するから大抵は厳しく手荒であって時には危険と背中合わせ、だから一見愛情とは似ても似つかず、理解されるまでに長い時間を要する。
いざとなれば死んでも子を守り家族を守るのが当然といった、プルル震えて鳥肌立つような決然と強靭が父性愛の本質と言えるかもしれない。

それがあってこそ人類は生き永らえることができた。
昨今、存在感薄れるばかりの父性であるが、母性を補完する不可欠の要素としてもっと見直されることがあってもいいのだろう。

その意味で父たるもの必ず見ておかねばならない映画と言え、また、いつか父性を体現する者となる子らについても必見であると言っておかねばならない。

アッと驚く結末は明かせない。

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