KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

社会には厳然と階層が存在する

タクシーの運転手が言う。
この20年で日本人観光客が激減した。
最盛期には日本語を話せるガイドが島に30人はいたが、いまは5人もないだろう。

日本のテレビに紹介してもらうなどランカウイの観光担当は努力を続けているが、奮わない。
日本人はどこに行ってしまったのか。

20年と聞けば失われた20年という言葉が即座に浮かぶ。
日本経済が停滞しはじめて20年もの歳月が経過した。
その流れが様々な現象を生んだ。
遠く離れたリゾートでの日本人観光客の減少も、それで説明がつくのだろう。

経済成長するアジアの国々とは正反対のベクトルで、日本人の賃金は減少を続けている。
もはや彼らが思うようなリッチな日本人像は過去の幻影となりつつある。

休暇を楽しむのは簡単なことではなくなり、数少ない機会を捉えてわざわざ遠く離れたマイナーな地へ足を運ぶなどますますあり得ないことになっていく。
その流れが今後も続く気配が濃厚だ。

実際、夏休みシーズンなのに当地滞在中に見かけた日本人はごく僅かであった。
せっかく異国に出かけてそこが日本人だらけであれば興ざめも甚だしいので、我が家にとっては喜ばしいことであったが、現地からすれば日本人観光客の減少は憂慮すべきことであるだろう。
そしてその背景を考えれば、彼らの努力で解決できるような話でもない。

遠く訪れた先でこのような話を耳にできたことは子らにとって何かを考えるいいきっかけになったと言える。
おそらくこの旅で目の当たりにし学んだ最大の事柄は、社会には歴然と階層のようなものが存在するという事実であったに違いない。

日本においては均質性の膜が分厚く見え難い。
しかし、当地においては、超豪華なホテルのプールで優雅に遊ぶ人たちがいて、一方、路上にはハダカでバイク駆る現地の若者がいて、両極が分かりやすく混在していた。
そのコントラストは、子らの内面をざわつかせるに十分な訴求力を持っていたと言えるだろう。

そのような光景の数々を脳裡に刻み込み、自宅に戻ってすぐに日本での日常が再開した。

荷物を置いて休む間もなく長男はラグビーの練習に向かい、二男も部活の練習に出かけ、わたしは仕事に出た。
人を傷めつけるかのような大阪の暑さを跳ね返し、彼らは駆けまわり、そして、週が明ければ勉強もまた本格化する。

長男については二学期が始まり、二男については黒姫での勉強合宿が始まる。
飛行機が大阪に着陸した瞬間、夏休みは幕を閉じたのだった。
今度は我ら男子が出力全開、必死のパッチで離陸する番となる。

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