KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

男子三人集合の夜が待ち遠しい

静かな夜の時間の肌触りが心地よく、先週土曜以来お酒を口にしていない。
欲しいのを我慢してという訳ではなく、飲まずに過ごす方が楽だから単にそうしている。

寄る年波、お酒を飲みしだく体力が弱化しているのかもしれない。
なんであれいつかは峠に差し掛かるということなのだろう。

もちろんこれを機にお酒を止めようなどという気はさらさらない。
この金曜に顧問先クリニックの飲み会にお招き頂いた。
大いに気炎をあげる心づもりである。

そもそもがお酒に滅法強い家系の血を継いだ。
大学生の頃から飲み始め、社会人となってからはあらゆる飲みの場に参上し、同僚や取引先と親睦を深め時には不覚を取るなどして学習しつつ、お酒耐性をとことん鍛え上げた。

二十代後半が全盛期だったと言えるだろう。
ほぼ連日、夜は飲み会で埋め尽くされた。
わたしにとってはティータイムのようなものであった。

しかし、いま思えばほぼすべての飲み会は「無」であった。
飲み会が当時のわたしにもたらしたものはなにもない。
もちろん幾つかの断片は鮮烈に記憶に残るが、大半は時間の藻屑、虚しくどこかへ消え去っただけのことであった。

若き無力の20代男子にとって、その場だけの楽しみの価値などゼロであり、そんなうたかたを寄せ集め積み重ねてもゼロに過ぎない。
ゼロが計上され続け、時間が無為に過ぎていく。
つまり空っぽ、充実の真反対。

飲み会はたまにあるから意義あって印象深く過ごせるのであり、日頃の充実があるからこそ貴重な余白となって自身のなか屹立した思い出となる。
毎日やれば全ては台無しということである。

お酒耐性の峠に差し掛かり、わたしにも新しい秩序が訪れようとしているのだと思う。
お酒に強いというのも良し悪しだ。
どう考えても、お酒は非日常の側にあった方がいい。

うっかり流されてしまうと、夜の時間の大半を侵食されることになる。
そうなると他にいくらでも使い途のあったはずのかけがえのない時間が藻屑と化してしまいかねない。
浦島太郎さながら、竜宮城で時の経つのも忘れて遊んだ後には老いだけが待っていた、という話になってしまう。

自らを振り返りその反省点を君たちに告げ、そうは言いつつも、いつの日か、父子水入らず楽しい酒席の時間を過ごせる日が待ち遠しい。

屹立して残るくらいに良き日となるよう、その夜に備え今からぼちぼちとコンディションを整えておくことにする。
わたしが君たち二人に飲み負けることはないだろう、多分。

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