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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

まさか、まさかね、まさかだよね

事務所を出たときには夜空に星さえ見えた。
風が心持ち巻いて吹くので台風の気配くらいは感ぜられるが、何も知らなければ平素となんら変わりがない。

だから傘も持たずクルマに荷物だけ置いてひとっ風呂浴びることにした。

我が家の風呂も上物の部類だが、所詮は家風呂。
そのカテゴリーでどれほど突っ張っても、凡庸な銭湯にすら劣る。

大きな湯船に身を横たえたときの安堵感。
これはまさに人生のエクスタシー。
到底家風呂では味わえない。

熱めのお湯がほどよく肌差し、ほっ、と吐息が漏れる。
押せばぷーと鳴るおもちゃさながら、魂の鳴き笛もこのときばかりは無防備となる。

湯につかって石鹸で流す。
同じ行為であるはずなのに、肌の目詰まりの解消具合は銭湯での方が段違いでいい。

全身息吹き返す、こういった感じを家風呂で味わうなど土台無理。
この爽やかな湯上がり感は、銭湯の専売特許とさえ言えるだろう。

この日も一組の父子があった。
若き父がシャンプーしている。
その間、目が塞がれ我が子を視認できない。

勢い良く髪を泡立たせながら、俯いた姿勢で若き父が言う。
「りゅう、りゅう、おるか?」

返事はない。
父がまた繰り返す。
「りゅうっ、りゅうたぁ〜、おるんか?」

おもちゃに夢中の少年がやっとのこと返事する。
「おるよ、人形で遊んでるねん」

その声は若き父の臓腑に沁み渡り、わたしにも少しは沁み渡る。
子は可愛い。
万国共通、人類普遍のことである。

こうしてわたしは幸福感に包まれて風呂屋を後にした。
一日の締め括りには良きお湯こそがふさわしい。

ところが、であった。

風呂出た瞬間を狙いすましたかのごとく、突如大雨が襲ってきた。
降り注ぐのはもはや雨滴とは呼べない。
まるで巨大な水道の蛇口が全開になったかのような大放水である。

見る間に、地面にも水が張り始めた。
恐怖すら覚えつつわたしはクルマに向かって走り、雨の軍勢から逃れるみたい飛び乗った。

たいへんなことになるのかもしれない。
街が濁流にのまれ、為す術なくクルマが流される。
ニュース映像で見たかのような光景が脳裡をよぎる。

急いで発進させるが雨量がすさまじく視界が全く保てない。
初心者のように前かがみになってハンドルを握る。

とにかく早く帰らねばならない。
ここらは水路だらけの地域、ひどい浸水になるのは時間の問題だ。

やっとのこと二号線に出るがいつにも増して車列が長くそして遅々と進まない。

この先、いつくもの川が横たわる。
この雨であればいつ氾濫してもおかしくない。
すべての川が関門だ。

このように、まさか、まさかね、まさかだよね、という風に、人は抜き差しならない状況に追い込まれていくのだろう。

心こわばらせつつ運転し、ちょうど兵庫県に入ったとナビが告げたときのことであった。

まるでコントさながら、一切が降り止んだ。
往来を見ると、人は傘すら差していない。

眼前にあったのは、いい方の、まさかねであった。
助かった。
ひしゃげた傘が幾本も路上に見られた以外は、いつものとおりの2号線であった。

わたしは何事もなかったように、慣れ親しんだ帰途の道を急ぎ、そしていつものように無事、家へとたどり着いた。

リビングでは二男が勉強し、長男は食事中であった。
二人の前に腰を掛ける。

PKというインドナンバーワン映画がもうすぐ封切りになるねと二男に話し、長男からは寝不足がたたってカップを素通りし続けるゴルフボールみたいに電車を何度も乗り過ごしたという話を聞いた。

風呂屋で子の名を呼んでいた若き父のシャンプー姿が頭に浮かぶ。

風雨に視界閉ざされたままとならず本当に良かった。
熱めのお湯より家がいい。
子らを見渡し心からそう思った。

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