KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

風に吹かれる街を眺めつつ

食品売場を覗くが頼まれたものは売り切れだった。

そのまま引き返すにしても駐車料金にするための小銭がない。
両替がてら本屋に立ち寄った。

文庫の新刊コーナーに村上春樹さんの「職業としての小説家」がうず高く積まれている。
今夜発表のノーベル文学賞、その最有力候補と目される大作家だ。

手にとってレジに運んだ。

小銭を手に入れクルマに戻る。
が、バイザーに挟んだ駐車券を見ると最初の一時間は無料とあった。

せっかくなのでお言葉に甘え時間いっぱい長居することにした。
別段家へと飛んで帰りたい訳でもない。

秋の日暮れは早く、あたり一帯薄闇に包まれはじめていた。

通りには買い物客や家路を急ぐ勤め人らの姿がちらほら見える。
羽織る着衣が時折ふくらむ。
夜に入って風が強まったようだった。

村上春樹さんの本を読むなど何年ぶりのことだろう。

はるか昔のこと、窒息寸前といった窮地に陥ったとき、村上春樹さんの本が無性に読みたくなって、本屋で買い込み読みふけったことがあった。
呼吸不全に陥って自ら酸素吸入器を押し当てるようなものであった。

実際、切迫感のようものはやわらいで、ずいぶんと気持ちが落ち着いた。
不思議なことだが、それら作品に安寧をもたらす効果があるのは確かなことだった。
小説に実用性があることをわたしは身をもって知った。

風に吹かれる街を眺めつつ、 駐車場のポール照明を蛍雪の光にしてページをめくる。

とても読みやすくてスラスラと進む。
意味の通りが悪くあちこち引っかかって何度も読み直すということが一切ない。
さすがに世界級。

なるほどと頷かされる箇所があってページを折った。

パッパッと意識の時間が進んでしまうような人には小説は向かない。
頭のなかのイメージを、わざわざ物語に置き換え、手間ひまかけて言葉にしていく作業には特別な時間感覚が必要だ。
誰にでもできるわけではなく、できたとしても、それを何年も続けることなど至難の業である。

確かにそのとおりだろう。

少し考えてみる。
もっともシンプルなストーリーとして四コマ漫画が頭に浮かぶ。

四つの断片で星座をかたどるみたいにストーリーを作り上げる。
一つ描くだけでも骨折りだ。
頑張ってもうひとつ仕上げても、それで半分。

コンマ一秒思い巡らせるだけで、四コマでさえ無理だと分かる。
よほどの執念があってのことか、天与の使命といったようなものでもない限り、成せる話ではないだろう。

そのように一人現実世界から退避するような小一時間を過ごしてから家へと帰る。
わたしが玄関に入ると同時、部活を終えた二男が戻ってきた。

水曜日に中間テストが終わったばかり。
今夜は甲子園飯店でお腹いっぱい食べると決めているようだ。
そして夜は録画してある「世にも奇妙な物語」を観るという。
週末には待ちに待った「君の名は」をようやくのこと映画館で観ることができる。

試験が終わればパラダイス。

玄関先で二男のウキウキ話に耳を傾けていると、長男も帰ってきて、我が家男子が表玄関で勢揃いとなった。

これで四コマ、しかも字足らず気味。
とてもではないが、お話にならない。

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