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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

当たり前のことを思い出した日

扉が閉まろうとするとき、前に老婦が現れたのが分かった。
わたしは慌てて「ひらく」のボタンを押した。

さも恐縮したように老婦は何度も頭を下げ、エレベータに乗ってきた。

何階ですかとわたしが聞くと、同じです、と老婦は言った。
階数ボタンは三階を示して光っている。

「今日は午前診だけだから早く来たんですよ」
老婦の言葉には人懐っこい響きがあった。
見ると、そこには笑顔があった。

たまたま乗り合わせたエレベータで行き先も同じなら、言葉交わすのが自然なことだろう。
都会で暮らしていると、そういった当たり前を忘れてしまいがちになる。

「土曜だから混んでいるかもしれませんね」
老婦の言葉を受け、わたしも笑顔で返した。

三階に着いて扉が開く。

わたしは老婦に先に出るよう促すが、老婦は頑として応じず、わたしに先を譲ろうとする。
老婦はてこでも動かないという心づもりに見えた。
その意地を察すれば、好意を素直に受け先にエレベータを降りる他ない。

受付を過ぎる。
その瞬間、イルカの歌のフレーズが頭をよぎった。
去年よりずっときれいになった。
間違いない。
しばらく見ぬ間に、受付は揃いも揃ってきれいになった。

案の定、待合は混み合っていた。

老婦とは席が離れた。
老婦は誰かと話をしたいといった風であったが、間の合う人を見つけられないようであった。

老婦より先、わたしは田中院長の診察を受けその場を後にした。

お客のクルマを待たせてあった。
そのクルマを買うお金があればちょっとした一軒家でも手に入るだろうというほど値の張りそうな外車である。
助手席に乗り込むが、先に食事にしましょうということになって、ひと辻まがっただけで降りることになった。

アポロビル9階、楓林閣のランチはなかなかのものであった。
おかわり自由のスープはそこそこ美味しく、定番どころが顔揃えるメニューは食べごたえも十分だった。
うちの子どもたちならいったい何杯ご飯をお代わりするか分からない。

若き事業家がする話は、不思議としか言いようがなかった。
しかし、観点を少し変えれば、そういうことがあってこそ成り立つのが人生、当たり前と言えば当たり前にも思えるような内容だった。

例えれば、今住む家の両隣に木下さんと細井さんがいるとして、はるか時間が経過しまた所も変わって、我が家の子亀の子亀がある場面である人に助けられ、また別の場面で別の人に助けられ、たまたま彼らの素性を聞けばあら不思議と感じる共通点があって、もしやともしやと共通点のその先をたどっていくと、なんとそのある人は木下さんの子亀の子亀であり、またその別の人というのは細井さんの子亀の子亀であったと分かった、といったような話である。

食事を終えて店を出る。
空は晴れ渡り、涼しい風そよいで往来は爽やかさに満ちている。
なんて気持ちのいい日だろう。

若き事業家と並んで歩いていると、前から老婦がやってくるのが見えた。
田中内科クリニックに向かうエレベータで乗り合わせたさっきの老婦だ。

一瞬知らぬ顔して通り過ぎようとするが、老婦はわたしに気づいて会釈した。
わずか遅れをとって、わたしも会釈を返した。

いきさつを考えれば、会釈するくらい当たり前の話なのであるが、都会で暮らすと、ついその当たり前がおろそかとなる。
知らぬ顔しようとした自分が少しばかり恥ずかしい。

若き事業家と別れ、事務所へと戻る電車の車内。
だんだんと混み合ってきて、座席が埋まる。

途中、夫が杖つくご老人夫婦が乗ってきた。
どこからどう見ても、丈夫そうなお二人ではない。

が、ここが大都会大阪の特徴なのであるが、そのようなご老人を眼前にしても誰一人席を譲ろうとしない。
電車が動き出す。

わたしはいてもたってもいられない。
席を立ちお二人に歩み寄った。
離れた場所に座っていたが、とても見ていられなかった。

わたしが声をかけようとしたそのとき、ようやくのこと席を空ける青年の二人組があった。

そうそう、誰かが悪いといったような話ではない。
ついつい都会にいると、当たり前のことを忘れてしまうだけのこと。
きっかけさえあれば、誰にだって思い出せるような話なのである。

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A Llama in Times Square. Photo by Inge Morath 1957.