KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

パーフェクトな晩秋の休日

週末土曜、近畿地方に木枯らし一号が吹いた。
まもなく冬。
朝晩の冷気が地肌に沁み入る季節になっていく。

年に何度あるか分からないほどに晴れ渡った日曜日、ひとり事務所で過ごす。

さあ、休みだ、何をして過ごそう。
胸膨らむような解放感で迎えた週末ではあったが、長く蓄積された習慣の魔力は恐ろしい。

早朝目が覚め始発に乗って、気がつけば事務所。
何か急ぎの仕事があるわけではない。
完全無欠に自由の身。

だから何もわざわざ事務所に足を運ぶ必要はないはずなのに、ついついここにやって来ることになる。
引退した独居老人が来る日も来る日も公園のベンチの定位置に腰掛け時間をやり過ごすようなものに近いかもしれない。

根付いた習性が思った以上に強くわたし自身を司っているということなのだろう。

コーヒーを片手に、事務所の窓から顔を出し、キリリ清々しい空気を胸深く吸い込む。
パーフェクトな晩秋の休日だ。
何をして過ごそうか。
澄みきった空の青に心を委ねるようにし思い巡らせつつ、しかし何も浮かばない。

何となく寂しいような思いがよぎる。
自身の胸のうちをのぞきこめば、休みだから楽ちんだという安堵感よりも漠然としたような寂寥の方が上回っているのが分かる。
仕事など他にしなければならないことがあれば気も紛れるのだろうが、頭が明瞭で全くの自由、となれば自身のなかの空白を直視せざるを得ない。

あるいは、冬型の気圧配置特有の晴天の日、ひとりぽつねんとすれば、誰だってそんな心境に陥るようなものなのかもしれない。

海洋性の温かな気団の勢力が弱まり、一挙に、大陸から冷たい北風が吹き始めてくる。
心を占めていた亜熱帯風の活況が、急速にしぼみ始めるのだから、ドリフ大爆笑がエンディングに差し掛かったときみたいな物悲しさに包まれるのも当然といった話だろう。

いずれにせよ、備えが必要だ。

あらかじめ何か予定を立て、過ごし方を決めておくことが有効策になるだろう。
当日であれば思いつかず、無為の流れに押しやられてしまう。

数日前から予定を睨み気持ちを高め意識を集中すれば、なんだか寂しい虚しいなどといった気持ちが入り込む余地はないはずだ。

夕刻が迫る。
このままでは悔いが残るに違いない。

過ぎ去りつつある晴天を大急ぎで追いかけるように、太陽があるうち散歩に出た。

風さわやかにそよぎ、日差しはどこまでも優しく柔らかだ。
すれ違うどの顔もみなほころんでみえ、こちらの気持ちもたちどころにほぐれてきた。

あまりにも素晴らしい一日。
閉じこもって無為に過ごせば、そりゃ寂しいはずである。

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