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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

しっちゃかめっちゃかな未来

読む暇がないので大半が無駄になる。
だからいつからか購読をやめた。

それでも、口寂しいときにガムを噛むみたいに、なんとなく毎朝買い続けている。
もっぱらコンビニで。
コーヒーを買うついでに新聞も手に取る。

仕事の支度をしつつ、読む箇所はほとんどないのであっと言う間に紙面をめくり終わる。
まれに読もうと思う箇所だけ抜き取って持ち帰る。

子らには我が背を見せて、仕事スタイルや読書スタイルなど幾許かでも有用な何かを伝えることができればと思って常々過ごしている。
書類の収納法や筆記具の使い方、予定や課題の管理法など、子らを思えば更に洗練させてその実用度を高めていきたいというモチベーションが生ずる。

新聞へのスタンスについては、これでいいのではないだろうか。
必要に応じて店先で買えばいい。
その方が、少しは読もうという気にもなる。

そして、もちろん積もり積もれば新聞からも学ぶところ大である。

この日は、読み残しの紙面をチェックしていて目を引かれた。
10月27日の朝日新聞、小熊英二氏の論壇時評。
テーマは世襲化と格差。

数字で突きつけられて衝撃であった。

例えば年収400万円で公立小中学生の子が二人いる四人世帯。
税金や教育費を差っ引いたその世帯の生活費は、生活保護基準の額を下回るのだという。
さらに例えば年収600万円の世帯で子が二人大学に進学した場合、これまた生活費は生活保護基準の額を下回る。

所得が減る一方で教育費は高騰し、人並みの世帯が人並みに子を勉強させるだけで、最底辺の生活を余儀なくされる、ということである。
これで誰かが病気になったり介護が生じれば家計は破綻秒読みとなる。

つまり、お先真っ暗。
かつてはちょっとした謙遜含みの黄金ワードだった人並み。
もはや人並みでは立ち行かず、しかもいま最底辺というだけではなく、それが連鎖しかねないということである。

当然こういった記事は子らにも読ませなければならない。
きちんと抜き取り、注目ポイントに青や赤でマークを施す。

彼らにとって他人事ではない。
学業を終えて社会に合流するとき、そこがどのような有り様であるのかいまから注意を払っておく必要があるだろう。

どう推移するのだろう。

現状では経済格差によって、封建的な身分制が復活しているかのようである。
しかし、そんなものは時代に逆行する話であり、経済がどうのという以前に、成立の合意を得られる社会であるはずがない。

かといって、問題解決に向けここはひとつ皆で譲り合って助け合って心ひとつに切り抜けましょうといった民度が残存する日本であるとも思えない。
長引く停滞と格差の軋轢で疲弊して、そんな崇高な理念など持ち出した途端、冷笑にさらされるのがオチだろう。

ブレイクスルーは見い出せず、かつ、この構造は長続きしない。
つまり間もなく行き詰まってのしっちゃかめっちゃか。
過激思想の壊し屋が喝采をもって迎えられ台頭し、既得権者を血祭りにせよと一般大衆が気勢を上げる。
そうなっても何ら不思議ではなく、実際、そんな兆しがあちこちに萌芽しはじめている。
なんて不穏なことだろう。

未曾有の大混乱といった事態がひたひたと近づきつつある。
そう思うくらいが、危機管理として丁度いいのではないだろうか。

人並み程度では暮らし成り立たず、子を育て親を看取ることも難しい。
最低限の等し並すら享受できない社会に魅力や愛着を覚えられるはずがなく、心象的には日本解散という事態に立ち至るということもあり得るだろう。

幸福になるには他国へ移住するのが早道となって、競ってチャンスを窺い、晴れて国を捨てられれば一抜けたと高らか歌って大喜びする、まさかのそんな未来が目に浮かぶ。

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Gentlemen on Waterloo Bridge (1935) , Photo Wolf Suschitzky