KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

入るを量りて出ずるを制す

新快速は混み合っていた。
空席などどこにもない。

ドア付近に体を預けiPhoneを片手に到着までの時間を過ごすことにした。
海外組の新着情報をスクロールしていく。

シンガポールでの自由行動を満喫したとの写真があり、カンボジアの暑さを伝える楽しげな集合写真があり、インドからは本場カレーを絶賛する声があがる。

日頃は行動を共にする友人らが3つのチームに三々五々分かれいま異国の地にある。
各自がそれぞれの持ち場で見聞を広めつつ互いに情報を交換し合っている。

若い感性が未知の世界で活気づく様子が微笑ましい。

午後五時少し前、目的地に到着した。
大阪よりも冷え込んでいる。
肌寒ければ寒いほど奈良は趣き深い。

その地にあることを味わうようにゆっくりと歩く。

会議の場、座席につくと見知らぬ顔が増えていた。
まずは名前を覚えることに専念する。

何もせずとも名が刻印できた時代ははるか彼方に過ぎ去った。
一工夫、二工夫しないことには名が頭に残らない。
なんとか覚えたと思っても、それでも危うい。
定着したとしても、せいぜいがポストイット程度の粘着力。
ちょっとした拍子で、喉元で消えてそのまま記憶が行方不明といったことも珍しくない。

一度、名を失念しその間の悪さを避けるため、あてずっぽうの名で呼びかけたことがあった。
もごもごするより、よほどさっぱりしている。
そう思ってのことだったが、相手はかなり不快であったと見え、とても気まずい空気に場が淀んでしまった。

気分落ち込むような記憶はいくつもあるが、これもその一つであり、時折その場面が目に浮かんで痛恨、顔が歪む。

会議のあと、ほぼ面識ゼロの方々との酒席となった。
場所は王寺の鶴亀。
わたしにとって今月初のお酒である。
初回を飾るのにふさわしい名店だ。

勧められるまま飲み干して、いつしかわたしは饒舌になっていた。
若い時分よりはずいぶんとマシにはなったが、それでも中年男子にしてはおしゃべりが過ぎる。

同席されていた年配のご夫婦に、その馴れ初めなど根掘り葉掘り聞いたりし、失礼千万なこと極まりない。
わたし自身は酔っていて、昔の映画でも見るみたいに、古き良き日本の連れ合いの光景をその会話から引き出そうとしたのだが、相手からすればいい迷惑であったに違いない。

立場置き換えれば容易に想像がつく話であって、芸能人ではあるまいしそんなこと聞かれたくもないし話したくもないし思い出したくもないというのがノーマルな感じ方であろう。

このように、頭から布団を被りたくなるような苦みばしった思い出が一つまた一つと増えていくのが、わたしにとっての酒席のようである。

明け方目覚めて気恥ずかしくしょんぼり落ち込む。
酔いの反動の意気消沈ひとつとっても、やはりお酒は高くつく。

今月はあと3回。
翌朝まで楽しい、そういった後味のいい酒席となるよう心しなければならない。

入るを量りて出ずるを制す。
昔の人は本当にいいことを言った。
ほどほどに飲んで、口数を抑える、という意味である。

肝に銘じたい。

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Man leaning on a parapet,1881
Georges Seurat