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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

息子と寝床で映画談義

この日もやや遅めの帰宅になった。
一昨日に続き和らかの湯のジャグジーでカラダをほぐし温め、あとは寝るだけ。

自室で小一時間だけ映画を見る。
テレビは全く見ないが映画は見る。
一種の就寝儀式のようなものである。

この夜は「アキレスと亀」。
やはり素晴らしい。

すべてのシーンが絵のように美しく、だから随所に挿入される絵画もすんなり映像に溶け込んで相乗効果で更に美しい。

映画前半はマチス君の少年時代が描かれる。

日本人誰もが有する心象風景がそこに現出し続ける。
心に宿る故郷の懐かしい「絵」が映像となって連続するようなものである。

起伏あってストーリーも面白いのだが、何はさておき、これら映像が心を捉えて離さない。
こんなことは、わたしの知る限り、黒澤明かアキ・カウリスマキでしか起こらない。

北野武は天才だ。
そう感嘆しつつ、マチス君が青年となった段階で寝床に入った。
続きは明日以降の楽しみにとっておく。

朝練のため早起きしなければならない二男がわたしの寝床にやってきた。
並んで寝転がって、就寝前の会話を交わす。

ビートたけしのイメージが強すぎてこれまで全くその映画に関心を持たなかったが、すごいよ。
そのように切り出した。

例えば、アウトレイジ。
暴力シーンがえげつない。

目を覆いたくなるほどの強烈さだが、話自体が面白くて引き込まれてしまうので見続けることになる。

それはもう創意工夫に富んだ暴力であって、日常ではそれ以上入っていかない立入禁止のロープが取り払われ、暴力に関する想像力が解き放たれていく。

ある種のカタルシスを覚えることになって、誰のなかにも潜んでいる暴力性が照射されることになる。

そこまでいけば不謹慎だが笑ってしまい、そして笑いの残虐と暴力の残虐の近似に気付かされる。
笑いと暴力は背中合わせ。
根源ではつながる異母兄弟のようなもの。

特筆すべきはアウトレイジでの水野の殺され方、アウトレイジビヨンドでの石原の殺され方であろう。

残虐の度が過ぎて、まるで熱いお湯が冷たく感じられるみたいに、その極限の残虐はお笑いの罰ゲーム的な可笑しささえ漂わせる。

恐るべし。
見ていて十分に面白い娯楽性を有しながら、一方で人間の本質をえぐって突きつける映画であるとも言える。

お笑いもその表層を突き破って突き詰めればここまで至る。
その深層を照らす表現者として見たとき、北野武は凄まじい。
やはり全く只者ではなく、お笑い芸人だといって済まされる話ではない。

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Bass player on the road, Belgrade 1965
Henri Cartier-Bresson