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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

輪の中心にかがり火が点じられた

甲子園口わびさび。
この夜、定例会のお店は焼鳥屋。
今年6月にオープンしたばかりの新顔店である。

切り盛りする店主は腕利き目利き。
大阪の老舗名店で長きに渡って研鑽を積んできた。
駅南口から歩いて一分。
ケンタッキーの角を左折した瞬間、目に留まる。

階段をあがって引き戸を開ける。
わたしが一番乗り。
奥にテーブルがセットされている。

一人待つ。
真後ろのカウンターでは男性二人組が大阪環状線桃谷駅の話で盛り上がっている。
吉本の芸人を見かけたとか、吉本の芸人がパチンコをしていたとか、そういった話だ。

ややあって安本先生がお越しになった。
宝塚からである。

向き合って座り先にビールで乾杯しようとしたちょうどそのとき、立て続け今宵登場人物が姿を見せ始めた。
天六のいんちょとフォーユー相良さんが同時に現れて、このたび5周年を迎えたばかりの鷲尾先生が続き、しんがりは吹田から森先生。

11月も半ばを過ぎ、年の瀬の空気が微か漂い始めた小雨そぼ降る夜。
円陣組むみたいに場を囲み、インフルエンザが流行の兆しだとの話題から会は始まった。

わたしはこの日が今月3回目のお酒。
酔いが回らぬよう、ゆっくりペースを心がける。
サッポロの赤ラベルを安本先生と注ぎ合ってちびちびとやる。

インフルエンザに続いては看取りの話となって安楽死の話となった。
安楽死についてのコンセンサスは日本ではまだ形成途上、法的にも未整備のままである。
しかし現場では、常に具体的な個が死に直面し、尊厳死と安楽死を分かつ区切線が誰が見ても分かるように明瞭に引かれているわけではない。

老衰での死を見届ければ思い残すことはない、との言葉に行き着いて、現場の医師の胸のうち様々な思いが滲むのが分かった。

日頃接することのない話に耳を傾け、わたしは我が身の能天気を思い知らされた。
まるでバカ丸出しのようにわたしは常に体調万全。
だから病について考えることがない。

病に訪れられた立場の方の気持ちや状況といったものに思いを馳せること露もなく、呑気安閑と暮らしている。
楽観が慢性化すると愚蒙に陥る。

生身のカラダ、この先何が起こるか分からない。
他人事はいつか我が事、そのように共感もって普段から考え、自身についても心備えしておかねばならないだろう。

安本先生の言葉が印象に残った。
医者をやっていると必ず、弱い立場の人、困った立場の人の思いでものを見て考えるようになるんですよ。
そのような人が目の前にいて、毎日接しているといろいろな事情が見えてきて、治療という切り口だけではなく社会背景まで含めて様々な問題を目の当たりにすることになります。
それで心情的に、弱い立場の人、困った立場の人の側に感情移入するのだけれど、しかし守備範囲は限られていて自分の専門分野以外には手出しできない。
もどかしいもんです。

わたしは自分自身の守備範囲について思い巡らせ、そこにどれだけ最善のものを注いでいるのか自問自答した。
答えを保留せざるをえなかった。

男同士顔つき合わせて、金曜夜の酒席の場にしてはかなり真剣度の高い話が繰り広げられた。

天六のいんちょがふと言った。
この会、長く続けよう。

集まるという流れを途絶えさせてしまうと、流れは不可逆、もう集まらなくなっていく。
だから、集まるという形があるいま、そう決めよう。

みなが賛成した。
輪の中心に、かがり火が点じられた瞬間であった。

今後継続して月一回、一座が巡業するみたいに定例会のため各地を経巡り歩くことになる。
わたしはこの行脚に随行し記録係としての役目を果たしていく。

さしあたり来月師走は引き続いて西宮紀行。
香櫨園が行き先に選ばれた。

そして来年1月、2月の日取りも決まった。

ついさっき始まったばかりなのに、あっという間に時間は過ぎて夜11時をまわった。
11:45pm、今夜の円陣は解散となった。
駅の改札まで皆を見送って、わたしは鷲尾先生と並んで歩いて家まで帰った。

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Brooklyn Boys, New York, 1946
By Fred Stein