KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

歯車を飾るのにこれほど相応しい花はない

年末にかけ仕事で遅くなる日が増えてきた。
疲労も積み重なっていく。

健やかな明日のため、必ず風呂に寄ってから帰るようにしている。
湯上がりのまま寝床に直行すれば火照りが湯たんぽ代わりとなって安眠に導かれることになる。

目覚めれば疲れも幾分かは癒えている。
自らを鼓舞して起き上がり未練あっても振り返らずベッドから這い出る。

仕事について余計なことを思い煩えば出だしから滅入ってしまう。
美味しい朝定食とコクあって深みあるコーヒーのことだけを頭に描いて支度する。

社会の歯車として自らを見た時、有用さはともかく強度においてはかなり優良な部類に入るであろう。
なにせ明日をも知れぬ個人事業主。
日々の切迫を安住の住処とできるくらいの出力を常時維持しなければならない。

タフでなければ歯車ではなく、弱音を吐いては歯車である資格がない。

自画自賛ではないけれど、歯車として及第点には達している、そう胸を張っても文句は言われまい。

世には何を勘違いしたのか、歯車をネガティブに捉える向きもある。
とんだ了見違いと断ずべき話だろう。
システムの稼働に歯車は欠かせず、社会の一員であればせめてそれくらいの機能は有さねばならない。

昨日、勤労感謝の日。
誰に感謝される訳でもなく事務所に出かける。
口元には熱の花。
歯車を飾るのにこれほど相応しい花はない。

祝日も平日同様、瞬く間に時間が過ぎてまもなく日暮れ。

置かれた場所で咲く花の喩えのとおり、歯車は一セグメントにおいてのみ機能する。
最適化されたパーツとして、事務所だけが身を寄せる場になる。

気がつけば元いた場所にはつま先立ちするくらいのスペースしか残っていない。
仕事があって本当に良かった。
究極的には男子にとって仕事だけが居場所と言えて、そこに何のてらいもなく身を置けることほど幸福なことはない。

そして職業者としての純度を高めていけば、仕事が本体となってわたし自身は蚊帳の外といった境地に近づくに違いない。
仕事という実体の背後にあるわたしなどあってもなくてもいいような取るに足りない存在となる。

歯車の極意はと問われれば、己を虚しゅうすること、の一語に集約されるだろう。

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Robert Doisneau, The Cellist, 1957