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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

平穏であるべき場所が平穏であるために

週末金曜、夜は忘年会。
午後7時過ぎ北新地駅で降り会場へ向かう。
地上へと上がる前、レオニダスに寄って子らへのみやげも忘れない。

寒さ厳しい折り。
時候の挨拶としてそう書く季節であるが、一向に寒くない。
日が暮れても冷気は本気に程遠く、ちょうどいい具合のお手柔らかさである。

アバンザの一階に上がったところでiPhoneから流れる音楽がWonderwallになった。
イギリス史上屈指の名曲を並べれば上位をOasisが独占するが、その頂に来る曲である。

肌につけたミントのアロマが夜の冷気とほどよく調和して気分清涼。
香りがメンタルに与える影響は侮れない。

今夜も北新地は余剰感たっぷりに賑わっている。
行き過ぎる誰もが羽振り良さそうに見える。

大阪を観光するなら夜の時間帯にここらをぶらり歩くのも一興だろう。

指定の時間ちょうどにお店に着いた。
個室の部屋に案内され所定の席に腰掛ける。

しゃぶしゃぶを始め豪華な料理が次々と運ばれてくる。
場が温まり和やかさが増すにつれ、まずはビールであった飲み物が、次第次第、思い思いのグラスへと変わっていく。

隣席の人が言った。
昔は舶来のウイスキーが有り難がられた。
ところがいまは日本のウイスキーが世界的にも人気を博している。
サントリーではウイスキーを貯蔵する樽が不足しはじめ、だからジムビームを買収することになった。
いま角瓶でさえ品薄になりつつあって、その不足をジムビームが補う形になっている。

そういって、隣席は山崎のハイボールを注文した。
わたしにもそれがもっとも正しい選択に思えた。
文字通り右に倣えし、山崎、白州、山崎と交互に銘柄を変えハイボールを飲み続けることになった。

そのように食べて飲んでという楽しい会ではあったが、この夜、わたしにとって最も印象深かったのは、給仕さんの働く姿であった。

わたしたちは食べて飲むだけ。

その間、給仕さんは一人一人に食事を運び、料理をとりわけ、飲み物を運び、空いた皿を片付け、足を止める間もなければ手を止める間もない。
しかも着物姿であるから窮屈そうであるし動きの自由も利き難い。

それに加えて、客はセクハラまがいの冗談を飛ばし、それに対して機嫌害さないよう笑顔つくって気の利いた受け答えまでしなければならない。

全くこなれず面白くもない冗談を臆面もなく口にするのがおじさんという種族の通り相場であるが、それが束になって下卑てニヤついて話かけてくれば、わたしなら気が狂う。

このようにして足、腰、肩は酷使され、感情的エネルギーも膨大な量を費消されることになる。
給仕の仕事は心身ともに疲弊し尽くすとんでもないハードワークであった。

見たところその給仕さんの歳の頃はわれわれの女房と同じくらいだろう。
そう思えば、そのハードワークに頭が下がって労いの気持ちで胸がいっぱいになる。

一次会で場を辞して帰途に思う。

仕事を通じて味わうこともある辛酸や労苦について、わたし自身もそれを深く知る者である。

だから、足が棒のようになったり肩や腰に何かがのしかかってくるような、振りほどきようのない疲労感をわたし自身の疲労として感じ取ることができるし、あれやこれやと心配事の絶えない気苦労や周囲に細かく気を配ることで積み重なる心労などについても我が事として理解することができる。

共感と愛情は互い密接に関わり合う感情だ。
子らもいつか理解するであろうが、仕事につきまとう多難について一縷の共感をも寄せられないとしたら、やるせない。
感謝されることなく労われることもないだけであれば、まだましだ。
働けど働けど理不尽な難癖だけを浴びせられるようになってしまえばまさに前門の虎後門の狼、二重苦三重苦となってこれはもう頭が変になってもおかしくない耐え難さと言え、平穏であるはずだった場に、互い難癖で殴り合う修羅場が現出しても何ら不思議はない。

わたしが給仕さんに難癖をつけるはずはなく、おそらく給仕さんがわたしに難癖をつけることもないだろう。

伴侶については心かよわせるための最低限の共感の土壌が不可欠と言えるだろう。
平穏であるべき場所が平穏であり続けるための絶対条件と言えるかもしれない。
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Hector Colard
A ship on the Thames, London, 1896