KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

気品のある快活さ

空腹を持ちこたえようやく家にたどり着いたのが夜の9時。
期末試験終盤、ひと休みしている二男と会話を交わす。

星光が城星と提携するらしい。
星光同窓会の動きが活発になって以来、星光自体の結束が格段に増強されただけでなく、母体であるサレジオ会つながりでの連携も強まっている。

昨年はドン・ボスコ生誕200周年。
イタリアで開催された世界サレジオ同窓会に星光同窓会から理事一名が派遣された。
星光での縦のつながりだけではなく、将来は世界を横断しての結びつきも広がっていくことになるのかもしれない。

そのように俯瞰して見れば、ご近所さんとお近づきになるのも自然な流れだろう。

星光を更に良い学校にするという共通の理念のもと学校と同窓会が両輪になって勢い良く駆動し始めている。
在校生にとっても卒業生にとっても、そしてこれから仲間に加わる新入生にとっても、たいへん心頼もしい状況と言え、それら交流の相乗効果によって、星光男子の気品ある快活さはますます洗練されたものになっていく。

自室へと戻る二男を見送り、ペリエ片手に久々ひとりで映画鑑賞。
北野武のDollsを見始めた。

四季ある国の美がふんだんに織り込まれその映像に息を呑む。
そして、我が事がそこに描かれているかのように思えてストーリーに引き込まれ、映画を見つつ自身をしみじみと回顧することになった。

所詮わたしたちは遺伝子の乗り物。
そう言ってしまえば身も蓋もなく情緒のかけらもない。

せめて人形。
見えざる手に身を委ねた操り人形だと思いたい。
そこに映し出されるDollsは、わたしたち自身の姿でもある。
そう思えば更なる感情移入を避けられない。

登場人物が胸に秘める疼きのようなものにこちらの胸が呼応して締め付けられる。
ほんのり甘く心にぽっと火が灯るような場面もありはするけれど、しかし、どう足掻いたところで行き着く先は物悲しく、降って積もってその余韻はますます物悲しい。

北野監督自身が誰か大事な人に宛てた映像群のようにも思えてくる。
果てしないほど情の深い表現に溜息つくほど共感し、見終えて思う。
誰かをきちんと大事にしよう。

こんなにも切なく美しい映画を見れば、誰だって芯からそう思うことになるだろう。

男子諸君。
ちゃらちゃらしている場合ではない。
後悔先に立たずである。
誰かをきちんと大事にしよう。

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