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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

失敗談が楽しい学びの材料になる

雨で道が混んでいる。
約束は午後5時。
遅れぬよう4時には出発した。

案の定、閉口するほどの大渋滞。
市を西から東に横切るだけなのに普段の倍以上の時間を要した。

時間通りに到着したが約束のお相手は不在だった。
いまちょうどゴルフ大会の表彰式の最中、お取り込み中だという。

待つか出直すか瞬時頭を巡らせ、待機することを選択した。
改めて時間を取るのは難しい。

その日のことはその日のうちに。
少しくらい待っても、後日の予定を考えれば前倒しにしておくべきだった。

コインパークに停めたクルマのなか、雨を眺めて気づけば午後7時過ぎ。
ようやくお相手が現れた。

そして、痛恨。
どこで行き違いがあったのか用意整ったと聞いていた書類は用を為さないものだった。

ではごきげんよう、また来ます。
そう言うより他なかった。

雨の師走煩忙期、都合3時間以上が水泡に帰した。
しかもまた再訪しなければならないのだからダメージは小さくない。

あれこれ骨あるタスクに包囲され、気が急いて落ち着かない時期である。
差し迫った時期の無為ほど心痛むものはない。

しかし、時間におおらかなお相手であることはかねてからわたしも心得ていたはずのことだった。
出かける前に、念のため待ち合わせ時間について一声かけ確認しておくべきだったし、書類についてもFAXで正誤確認くらいはしておくべきだった。

わたしの落ち度でもある。
そう反省しつつ夜の阪神高速を西へと引き返す。
雨が光を撹拌し溶けた絵の具のなかを疾走しているかのよう。

子らはもう帰宅している時間だ。
その顔が浮かんで、わたしのなか今日の失敗談が子らに語る楽しいエピソードとして編集し直されはじめる。
痛恨が滑稽な笑い話に様変わりし、わたしの気持ちは見る間に和んでいった。

先発隊としてのわたしの役割を思えば、失敗さえ子らにとっては学びの材料となって意義がある。
そう考えれば、エピソードに事欠く無味な日常より、失敗談でもあったほうがはるかにましだ。

昨晩に引き続き浜田温泉で再生のひとときを過ごして家に帰還。
二男の部屋に寄り言葉を交わし、続いて長男の部屋に寄ってちょいとま過ごす。

成功も失敗も含め自らが教材となる。
そう捉えればなんだか楽しく、父としての役割を積極果敢に果たしたいような思いとなってくる。

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Vincent Van Gogh - "The End of the Day ", 1889.