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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

最後の居場所、安息の地

定位置とも言える居場所は4つ。
デスク、運転席、湯船、寝床。

この4つを繋ぐだけで、わたしの生活の輪郭が精緻浮き彫りとなる。
その証拠、日記を振り返ればこれらたった4箇所からのアングルで日々のエピソードが捉えられている。

生来、行動範囲が広い方ではない。
もともと生まれ落ちたのが小さな家。
これは比喩などではなく本当に手狭な家であった。

やがて家を出てひとり暮らしを始めるも住まいはワンルーム。

すべてが手を伸ばせば届く距離にある空間でわたしの前半生は形成された。
すべてに手が届く、これが比喩であればなんだかとても満たされて全能感溢れるような話だが、実像はその正反対、スケール極小、手が届くものだけですべてが構成されるみみちい世界観のもと、こじんまり暮らしてきたのであった。

いまもそう。
わたしの棲息域は至って小さい。
家にあっても三等船室のような寝床を根城に、住めば都とそこに憩っている。

人生折り返しの頃合い、居場所が4つもあるなどわたしにすれば豊穣なことである。

この夜も少し遅くなったので、一人なか卯で夕飯を済ませた。
定食はボリュームたっぷり、それにサラダもつく。
男子一人の食事としてこれで十分、申し分ない。

食後は風呂。
このところは滅多にお酒を飲まないので特にすることがない。
まずはひと風呂浴びようとなる。

和らかの湯を訪れた。
雨降る露天のツボ湯につかって安堵のひとときを過ごす。

先日観た映画の一シーンを思い出す。
キム・ギドク監督の「鰐」。
不快なシーン満載で重く苦しい映画であったが、ラストだけは美しかった。

主人公は河川敷に住む社会のはぐれ者である。
人生に一筋の光明もなく一切救いがない境遇だ。
それでもひょんなことで美と愛に出合う。

ラストシーンは、かつては透き通るように綺麗だった河川の底。
そこが主人公の最後の居場所、安息の地となった。
切ないだけの幕切れであるが、彼が美と愛に出合ったことが分かるので、何かが成就されたかのようであって美しい。

そのようなことを思い巡らせながら、ようやく腰を上げ、帰途につく。
残響で焼け焦げたようになった耳の奥の疼痛も幾分和らいだ。

家に帰れば威勢のいいイノシシ君がいて、部活疲れですでにひと休みしているカモシカ君がいる。
これで蝶が揃えば、猪鹿蝶と出来役揃うが、そうそううまくいくものではないだろう。

何かが欠けて何かが足りない。
誰だっておそらくはそんなようなものなのだ。

男子二人授かってそれで十分、感謝しなければならない。

この夜も定位置に身を横たえて夜を明かし、早朝クルマで勤めに出て、職場に陣取る。
その繰り返し繰り返し。

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Man in Rain, 1946.  Louis Faurer