KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

今とその先をつなぐロジスティック戦略

この夜も家内と二人での夕飯となった。
野菜中心のメニューをゆっくり味わって食べる。

テレビでは白浜アドベンチャーワールドのパンダ親子が紹介されている。
白浜はパンダの繁殖に関し目を見張る実績を上げている。
母子を隔離し次の繁殖に向け母パンダを自由にさせる中国方式とは異なり、子育ての過程において母と子をしっかり密着させる仕方に白浜の特徴がある。

子を片時も離そうとしない母パンダの母性に感心しつつ、その姿が家内と重なった。
うちの子育ても、どちらかと言えば白浜方式。
要はこんな感じだったのだと録画してうちの子らにも見せたいと思った。

食後、家内は明日の弁当の下ごしらえを始めた。
このところ朝も昼も弁当を用意してもらうようにしている。
カラダのコンディションを考えた場合、外食で済ませるより手作りの弁当の方が好ましい。

そろそろわたしも健康を気遣う年齢に差し掛かった。

先日、65歳はまだ若輩、75歳以上からが高齢者といった定義変更の提言が日本老年学会によってなされた。
そのことからも窺えるように人生はますます長丁場になっていく。
一昔前と比し、現役として突っ走らねばならないマラソンレースのゴールがずっとずっと先に繰り延べられていく。

60過ぎで定年、お疲れ様とほっと一息ついている場合ではないということである。
日本経済を支える屋台骨として高齢者も担ぎ出され、経済成長を牽引する主力メンバーとして朽ち果てるまで踏ん張らねばならないということになる。

そうなれば、今とその先をつなぐロジスティックの重みがますます増してくる。
時間を超えて、誰もが各種資源をその先へとつないでいかねばならない。

健康もそうであろうし、お金もそう。
能力も人間関係もしかり。
歳取ってからでは磨いたり蓄積できないかもしれない資源を、今のうちから準備して未来に向け補給できるようしておかねばならない。

疎かにすれば、働けたとしても人工知能にアゴで使われ足蹴にされるような不憫な老後を余儀なくされるのかもしれず、働けない場合には食うや食わずで病も治せないといった窮乏に蝕まれるといったようなこともあるかもしれない。

生きた結果の差は開く一方。
60歳を迎えての彼我の差は大だが、100歳での差は目も当てられないほどの甚大さとなる。
だから、老いても好循環の波が絶えぬよう、今からできることはなんでもやっておく習慣が必要だろう。

人間はパンダほどには手厚く扱われない。
誰かが何とかしてくれるパンダと異なり、人は自助努力を求められる。
誰もが各自のロジスティックについて前もって考えなければならないということになっていく。

そして忘れてはならないが、功を奏して自分自身がうまく切り抜けられても、万一子らがそうでなければ浮かばれない。
それなら逆の立場となる方がはるかにマシだ。

つまり、このロジスティックは家族揃って取り組むべき課題だということになる。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20170107144613j:plain
Napoli 1957 by David Seymour