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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

寒さの冬には鍋がうってつけ

電話があったので助っ人に駆けつけた。

日曜になると肉屋魚屋八百屋など主だったお店が休みになる。
そのため土曜夕刻の商店街は買物する奥様方らでたいそうな混み具合となる。

そこに二男を引き連れ分け入った。

家内は既に渦中にて牛豚鶏の肉の仕入れの真っ最中である。
手分けする形で我ら男衆は魚屋を目指した。

指示はメールを介してやってくる。
我が家の農林水産大臣の命に従い鍋用の具を見繕って二男所望の刺し身を買い求める。

そこで待機せよとの下命がくだり、二男とともに木偶の坊となって商店街の真ん中に突っ立って、人波に揉まれる時間を耐久する。
激烈な寒さは容赦なくアーケードのなかであっても震え抑えられない。

まもなく家内が現れた。
付き従って各店舗にて荷物引き受け、しまいには肩に両手に食料引っ提げることになって我ら男衆は強力と化した。

商店街を抜け闇に覆われ始めた街なかの駐車場を目指すが、はるか遠くに思えてやや苦しい。
二男の顔も心なしか歪んでいる。

やっとようやくのこと愛車が見えたときには、寒さでか重さでか手と腕の感覚は麻痺していてもしそこで引き千切れたとしても何も感じなかったことだろう。

このように、終戦直後の村の買い出しのような量を調達してはじめて我が家数日分の食料が確保できる。

エンジンかけ走り始めるとやがて車内は暖気に包まれて外気の冷たさがウインドウ越しぐんぐん遠ざかっていくように感じられた。
土曜夜の二号線は混み合い車列は遅々と進まないが、凍えるカラダに車内はとても居心地がよく、ドライブでも楽しむかのような談笑の時間となって渋滞に苛つくことが全くない。

家に着くと早速家族で手分けし鍋の支度を整えた。
寒さの冬には鍋がうってつけ。

まずはアンコウ鍋。
家内が奉行となって各自を餌付けする。

ときおり窓を開けると極めつけの冷気がなだれ込んできて、揃ってうひゃ~と声をあげつつ鍋をつつくが、寒さの気配を感じれば感じるほど、気持ちあたたかとなり鍋のお味も増してくる。

そして前座のアンコウはまもなくネタも尽き、引き続きは豚しゃぶとなる。

わたしも途中までは食い下がるが、子らのペースにはついていけず置いて行かれ、そのうち葛きりすら喉を通らなくなって降参。
彼らは仕上げのうどんを楽しみにしているというのだから、げに恐ろしき、という話である。

わたしは食卓から退散しリビングソファで大の字になって小休止する。

刺すほど冷たい漆黒の冬空を背景に、湯気上がる食卓と鍋を囲む家族の様子が窓に映って、その光景に眺め入る。

ああ、これがわたしの家族で、ここが我が家だ。
お酒も飲んでないのになんだかとても気分がいい。

鍋から立ち昇るふんわりとした湯気が幸福の象徴となってわたしの胸に刻印される夜となった。

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Wassily Kandinsky, Murnau: Top of the Johannisstrasse, 1908