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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

広大無辺な眠りの懐

今朝目覚めるときふとある記事のことが頭に浮かんだ。

先日の毎日新聞。
阪神淡路大震災で被災し妻を亡くした方の記事があった。
倒壊した自宅の生き埋めになったのだという。
家族揃って休日を楽しんだ翌朝のことであった。

5年経っても10年経ってもが妻が不在となった現実が受け入れられない。
妻が死んだのは、実は夢だった。
そういった夢を何度もみることになった。

が、22年を経てそのような夢をみることがなくなった。
いまでは夢の中でもいいから妻に会いたいとの想いが募る。

そのような話であった。

きっと毎日、夢のなかでその方は妻と会っているに違いない。
わたしはそう思う。

眠りの世界は奥深く、すべてが揃い、すべてが現在形で息づいている。

目覚めの瞬間、手から砂がこぼれ落ちるみたいに、夢の世界の光景は大半が失われてしまうが、意識の奥に引き込むだけであって、それが在り続けることは変わらない。

眠りの最中にふと目覚め、不思議に思うことが少なくない。

幼少の頃も学生時代もいまもそう、夢のなかではあらゆる時間と場所が並存するかのようなパノラマで広がり、すべての人がそこにいる。

そこでは祖父母はいまなお健在で、腕白盛りの悪ガキらは当時の姿のままであって、初恋の人は褪せることなく美しい。

だから目覚める際にはいつだって名残り惜しい。
そこでもっと過ごしたい。

しかし誰もがその思いを振り切って、ちょっと行ってくるわと日常の場面へと進み出なければならない。
そして一日を終えてようやく、再び眠りという安住の地へと帰還することになる。

これまた不思議なことであるが、日常で抱えた諸々の懸案が、眠りの世界で受ける数々の示唆によって翌朝には解決していることも珍しくない。

困れば眠れ。
そういった格言があっても良さそうなくらい、眠りの世界は豊穣だ。

生きることがたとえ困難であったとしても、眠りが安らぎである限り、眠りの懐に潜り込みつつなんとか日々凌げるように思える。

もちろん身近な誰かを失うなど耐え難く、想像すら忌避したいことであって、それ以上に辛く悲しい話はないはずであるが、生きて在る限り夢で何度でも再会を果たせる、そう思えば、その痛みと苦しみもほんの少しは和らぐようなものであるのかもしれない。

またここへ帰ってくる。
そう思ってわたしは寝床から這い出した。

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Rue des Martyrs, 1951 Louis Stettner