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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

古い写真が愛情の深さを物語る

手作りの弁当を2つ持って家を出る。
この日は、すき焼き弁当ととんかつ弁当。
ご飯の量は控え目で野菜たっぷり。

どちらを朝に食べどちらを昼に食べるか思案しつつクルマを走らせる。

ラジオから曲が流れる。
チューリップの青春の影。
「君を幸せにするそれこそがこれからの僕の生きるしるし」という歌詞が耳に留まる。

かつては「君を幸せにする」ことが男子の責任であり、その表明が求婚の言葉となった。
そんな共通認識が行き渡っていた時代があった。

だから昔気質の人であればいまもその言葉を奇異に感じることはないだろう。
が、いまの若い人らの間では少し事情が異なるのではないだろうか。

共働きが必須の前提であり、様々な役割を共有し助け合うといった風に、夫婦像の標準モデルが変貌しつつある。
であれば当然、幸せは一方が一方に片道でもたらすものではなく、互酬的な成果物であるようなものだろう。

デフレとなって幾年月。
「君を幸せにする」と宣言できる男子はごく一握りであり、そう宣誓されるような女子など更に極少に限られる。
第一、「君を幸せにする」など大きなお世話だ、おとといおいでといったリキある女性もいまや少なくない。

昨晩、わたしはそこそこ上物の煎餅を二種類、家内への土産に持ち帰った。

家内が家事から解放されての、ちょっと一息のとき。
大画面と床暖、ふんわりクッション、そして白ワイン。
そこに好物のお煎餅が加われば、憩い鉄板のラインナップとなるに違いない。

男子の土産としていまいちセンスに欠けるとは承知しつつ、それによって少しでも幸福が享受できるのであれば煎餅も捨てたものではない。

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。
半生を振り返って林芙美子はそう言った。

ここまで来るのに家内にも数々労苦はあったことだろう。
底抜け健啖ですこぶる元気な男子2人の子育てに要したエネルギーも並大抵のものではなかったはずだ。

が、あと数年で子らは大学生となって手が離れる。
まもなく登りの行程が終わって、あとは傾斜なだらかな道が続くのだと思う。
ニッセイのCMにあったように、花の命は結構長い、ということになるはずで、煎餅が更に美味しく感じられるようになるに違いない。

先日、家内の友人だという方のブログをちらりと見せてもらった。
その友人の子どもたち3人の笑顔があって、じんと来た。

古い写真であるからそこに映る3人はまだ幼い。
肩寄せ合って笑って、歳の下る順に満面の笑みの度合いが大きくなる。

その明るい笑顔から、子どもたちの聡明さと心根の良さが伝わってくる。
そして、被写体には、撮り手の姿も映し出される。

ご両親の愛情の深さと良き人となりがそこに映り込んでいるも同然のとてもいい写真であった。

肝心な何かがその写真で一目瞭然。
我が家においては2人の男子。
にこやか笑っていた幼子が、いつか誰かの幸せに寄与する立場となって、その向こうの小さな被写体が笑顔満面。

煎餅食べる手も止まってしまうほどの感動を覚えることだろう。

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A Little Girl Accompanied By Her Mother, Feeding A Swan And Ducks On The Lake At The Bois De Boulogne Around 1930. via Getty Images