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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

一言にすれば、つながりの大阪星光

電話が鳴って意識が戻った。
時刻は深夜1時過ぎ。

帰るつもりで着替えそのまま事務所で寝入ってしまった。

飲み過ぎたようだ。
動けない。

明日帰る。
家内にそう告げ電話を切った。

この日、大阪星光同窓会理事会が行われた。
場所は高校棟2階の視聴覚教室。

わたしはセノー君の隣に腰掛けた。

新年初回ということもあって各自の挨拶から始まった。

孫が生まれた。
子の結婚が決まった。
そういった喜ばしい話が多く、もらい笑いの行き交うなごやか楽しい場となった。

そうこうするうちわたしもまもなく。
長男夫婦のところに孫が生まれまして。
二男夫婦のところにもまた孫が生まれまして。
嬉しくて仕方ないといったふうに顔をほころばせるときが来るのだろう。

挨拶のあと、議題に入った。
昨年実施された行事や活動について各担当者から報告が為される。

スクールフェアでは7000人もの来場者を記録した。
キャパとしては5000人が精一杯なので大盛況と言える結果であった。

難波のホテルモントレで行われた大忘年会では200名を超える出席者があった。
今年の大忘年会については主幹事学年は30期で、会場は学校となるかもしれない。

大阪星光をもっといい学校に。
10年後も50年後も変わらず、大阪星光がいい学校であるよう皆で力を合わせよう。
それが同窓会の趣旨であり、ここ数年、学校との連携を強め活動が活発化している。

意義深い取り組みが種々行われ、結果、縦のつながりが一層深まり、当然の好循環で、在校生を支援するための体制が盤石の度を増している。

昨年は星光愛屈指の重鎮医師により医学部志望者60名に対しまた後日父兄100名に対する講演が実施された。

星光出身の医師は数えること1800人以上、医師を志す生徒はいまも少なくない。

熱心な医学部志望の後輩たちに対し、それを上回る熱心さで、医師が置かれることになる将来展望が語られた。
分厚く精緻な資料が、語り手医師の熱意を物語っていた。

高齢化に伴う今後の患者数の推移、医師人口の推移、専門医制度、社会保障制度、数々の側面から、その収支予測が描かれた。
医師についても今後は不確実性の世界に晒される。

単に成績がいいからということで進む道ではなく、また成績がいいからと安易に勧められる道でもない。

そのような話であったという。
講演会に出席したセノー君に、資料を含めより詳細を教えてと頼んだところ、直接会って話を伺えばいいというので、そうすることにした。

場を移し、新年会は宗右衛門町での焼肉。
大先輩がいて、近い学年の先輩後輩がいて、二十近くも歳の離れた後輩もいる。

みな例外なく人柄良く心優しい。
母校に対する想いが通底していて居心地もいい。
この雰囲気こそが、大阪星光の真髄、真骨頂と言えるのだろう。

仕事とは別に、ともに語ってともに何かに取り組める、そういった人のつながりがあるというのは実に豊かなことである。

少し耳を傾けるだけで、星光らしい話がいくつも聞こえてくる。
36期は先日東京で新年会を行った。
注目のかの人物が東京で弁護士事務所を開いたので、21期はそこで集まろう。
50期は星光つながりだけでなく東大寺との交流が深く根強く、仕事でもつながり結婚式などでも行き来がある。

一言にすれば、つながりの大阪星光。
息の長い付き合いが、卒業後に更に深まり広がっていく。

生きるうえで、もっとも重要なものは人とのつながり。
その最重要をもたらしてくれる場であるのだから、母校を想う気持ちが卒後になって高まるのも当然のことだろう。

楽しく盛り上がった飲み会を終えて、わたしは難波繁華街を抜け駅へと向かった。
記憶はそこまで。

家にちゃんと帰るまでが飲み会である。
次回は3月。
そう心して臨むことにする。

そしていよいよ33期の冬会が数日後に迫る。
ひさびさ、シブも顔を出す。
こうしてしょっちゅう会える何十年来の友だちがあるなんて、ほんとうに幸せなことである。

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Elliot Erwitt Paris. 1970.