KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

話すことは尽きない

改札を抜けた小学生がエスカレータに向かって歩く。
横に並ぶのはその少年の父であろう。

駅の向こうとこちらをアルミ格子の柵が隔てている。
二人はその柵を間にし並んで歩く。
柵の高さはちょうど子どもの背丈ほど。

父は息子がエスカレータを降りその姿が見えなくなるまで見送るのだろう。
毎朝、毎朝のことであるに違いない。

父が息子に話しかけている。
息子は父親の方を何度も向いてはうんうんと頷いている。
とても親密な雰囲気だ。

その光景を目にしつつ、わたしのする日記もまた同じようなものだという風に思った。
乗り口へと向かう子らに向かって話しかけるようなもの。

話しても話しても話は尽きない。

話し足りないことを並んで歩いて柵越しに話す。
日々の記録や友人ら人物列伝、観た映画や読んだ本、その他ちょっと気づいたことや感じたことについて。

たとえば今朝であれば昨夜読んだ「日本3.0」(幻冬舎、佐々木紀彦さん著)についてわたしは話すことになるだろう。

いい話が山ほど書いてあった。
そのなか「生産的な議論は、未来形で」というアドバイスなど目から鱗であった。

問いを立てる際、過去ベクトルであれば非難や批判、反省に終始するような話となる。
現在ベクトルであれば観念論や本質論、抽象的な理想論となりがちで、だから何なのだという話に陥る。
が、未来ベクトルであれば、具体的な改善策やアイデア提案といった前向きで生産的な論が生じ得る。

だから、効き目ある問題解決策を求める場合には、問いは未来形であるべきだ、といったような内容であった。

唸らされるような話である。
問いの時制によって議論は後向きにも的外れにも前向きにも成り得る。

問いの時制を意識するなどこれまで皆無であった。
それを知っただけでもこの本を買った値打ちがあった。
学びがあるからやはり読書はやめられない。

柵越し、わたしはそのように子らに語って、その背を見送る。
見送った後、わたしは日常を過ごしまた様々な学びを得る。

話すことはいつまでも尽きない。

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Robert Doisneau- Première leçon de cyclisme d' un père à sa fille, 1960s