KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

その今に、少しでも関わって一緒に過ごすこと

事務所を早引きし花屋に寄った。
2月14日は母の誕生日。

これまで誕生日だからとお祝いらしいお祝いなどしたことはない。
ほんとうにわたしは愚かな親不孝者である。

歳を重ねて母も70を過ぎた。
せめて顔出し花でも渡さねば、息子とは言えない。

明るい色合いでと花屋のお姉さんに誕生日の花束を注文する。
オレンジ色のバラがメインで白と黄が添えられ、鮮やかな仕上がりとなった。
そこにだけ一足早く春が訪れたかのように見える。

助手席に花束置くとクルマも華やぎ、これで走ればまるで新車のCMのシーンのようでもあるが、ハンドル握るドライバーだけが様にならない。

突然の来訪に老親は二人して驚いた。
こたつに入って、夕飯の時間を一緒に過ごす。

人生半ばの中年であれば未来は無尽蔵あるように見え、だから余裕あるから過去がなんだか懐かしく、そこで戯れ浸る時間を味わえる。

しかし、老境に差し掛かれば時間の色合いは様変わりするのに違いない。

未来は限りあって貴重な、やがて訪れ過ぎていく現在のストックであり、その時間こそが絶対的な要であるから、思いはすべてそこにフォーカスされる。

だから過去など関心外、すべては過ぎ去ったことであり、思い出に耽っているような暇はない。

歳をとればとるほど、今、が全てとなる。

その今に、少しでも関わって一緒に過ごすことが、とても大事なのだとこのところ本当に強く実感している。

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Artur Pastor