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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

暖かく大切なもの

特に苦もなく毎日日記を更新している。
その日心によぎった思い出をちょっとした時間の合間にさらり書く。

自分にとってのアルバム作りのようなものであり、積もり積もって俯瞰すれば、何かかたちが見えてくるようにも思え楽しくもある。
だからいい感じの息抜きになってこれを負担に思うことはない。

ただ、ほんとうにまれではあるが億劫に感じることもないではない。

朝から根詰めて大量の書類と対峙し戦い抜いた後では机に座っているのさえもうたくさんだとなる。
軽く適当な文章を書くことすら煩わしいと感じてしまう。

今日など特にそう。
相当量の文章を早朝から書き続けた。
もう頭はスカスカ、目はショボショボである。

ウルトラマンにたとえれば、カラータイマーが点滅し、警告音の間隔がどんどん狭まっているような状態と言えるだろう。

もはや限界、シュワッチと引き上げようとも思ったのであったが、ふとした拍子に、芦屋のテーラーKさんのツイートを目にしてしまった。

そこにはこうあった。

『ブログを途中でやめちゃってる人は職人には向いてないように思います。
すごいな、と思うテーラーさんはみんな続けている。
だから自分も負けないように続けてる部分もあります。
持続性は職人には無くてはならないものだと思います』(テーラーK)

わたしも一種の職人である。
それでも職人か。
テーラーKさんに喝を入れられたようなものである。

今日はしんどいなどと泣きを入れてる場合ではない。

それで心を入れ替えシュワッチはお預けとし、いまこうして這うようにして書いている。

しかしまもなくカラータイマーが切れる。
こういうときには最後の切り札。
スペシウム光線よろしく、大学の恩師である大野先生の言葉を助け舟に、それを引いて締め括ることにする。

『自分が何をしてきたんだろうということを、何も手がかりなしに考えるのはとても難しいことですが、写真アルバムめくることで、大切な思い出=体験を取り出すことができます。
そして何枚かの写真を抽出することで、自分のこれまでを見つめ直して、これからどう歩んでいけばいいのかの指針が見えてくるのではないかと思います。

人生の最終段階での「棚卸し」ですべてを整理してみると、やり遂げたこと、やり残したことが写真を通じて見えてくるかもしれません。
そして年取ったといえども、「今、やっておかなければ!」と前に進む意欲が出てくるかもしれません。あるいは人生を思い出とともに振り返って納得をするかもしれません』

現在先生は、思い出を支えるツールとして写真がどのように役立つのかどのように活用したらいいのかを研究テーマとする非営利組織「思い出づくり研究所」の所長を兼任されている。

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Rodney Smith