KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

友だちの喜びもまたわたしの喜び

昨日の日記にあるとおり、「それからそれから」とその先にある何かを期待し帰宅した。
楽しみにしただけの価値はあった。

この先一生忘れられないような光景を目にすることができた。

一寸先は福袋。
だから生きることはやめられない。

和らかの湯で疲れを癒やし家に戻ったのは夜の十時過ぎだった。
来訪者があった。
息子の友だちだ。

苗字の出だしが五十音で隣り合い、だから出席番号が連続し、中一から高一までずっと同じクラス。
校内随一の俊英と権太坊主がちょうど凸凹補い合って、いまや切っても切れない取り合わせとなっている。

階下リビングから聞こえる話し声は夜通し絶えない。
どうやら二人して朝まで眠るつもりはないようだ。

明け方となって階下に降りた。
時計を見れば朝の四時。
さすがに二人は寝入っていたが、わたしはその寝姿に目を丸くした。

一つ布団に高校生の男子二人が並んで眠っているのだった。
まるで兄弟。

友だちがいるというのは、なんて素晴らしいことなのだろう。
涙もろくなった爺さんみたいに、わたしはその寝姿にじんと来てしまった。

朝五時ジャスト、彼らは起き出してきた。
準備は昨晩のうち整えてあって既にスタンバイオッケー。

玄関で待ち受けるわたしの前を、現場へと急ぐレスキュー隊員のような機敏さで横切り彼らはクルマに乗り込んだ。

戸締まりを終えわたしはハンドルを握る。
エンジン音があたりに響き渡る。

三連休初日の土曜、空はまだ暗く車影少ない。
湾岸線を使って一路関空へとひた走る。

学校について話を聞くうち、あっと言う間、六時前には関空に到着した。
クルマを路肩に停めて、これから旅立つ二人を送り出す。

並んで立って頼もしい。
凸凹コンビの二つの背を見送る。
中一当時からすれば隔世の感。
二人ともでかくなったものである。

一人でも強いが二人だからもっと強い。
そのように後ろ姿のシルエットが物語る。
向こう百年の艱難辛苦を吹き飛ばしてしまうほどの力強さに満ちている。

三つ子の魂百までというとおり、この二人は生涯ずっと友だちのままであろう。
職に就いたり伴侶を得たり子を授かったり、互いが互いの節目節目に立ち会って、吉報を喜び合う仲であり続けることは間違いない。

二人が見えなくなるまで見送って、わたしは帰途につく。
空はすっかり明るくなっている。
三連休初日を飾るにふさわしい春の晴天のもと海を左手に見て湾岸線を突っ走る。

33期友人らの顔が思い浮かぶ。
ちょうど大学入試の合格発表も済んで、めでたい話がいくつも耳に届いている。

友だちの喜びもまたわたしの喜び。
ハッピーエンドに安堵する友人の気持ちを思って、ほんとうに良かった良かったとわたしもまた安堵する。

今朝わたしは息子と友人の寝姿を喜びをもって見届けた。
印象深く目に焼きつきそのシーンを今後忘れることはないだろう。

先々、親であるわたしは老いて亡くなり皮の一つも残せるかどうか定かではない。
が、友だちはたとえ遠く離れても、ずっと先の先まで身近にいる伴走者のようなもの。
そんな友に恵まれたということが、親は嬉しくて仕方ない。

伴侶は一人でたくさんだが、友だちは何人でもいた方がいい。
友だちを大切に。
父としてそう伝言しておきたい。

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Shirley BakerTwo Boys Playing in a Large Puddle - Manchester, 1966