KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

子によって増す時間濃度

腰据えてデスクワークに集中するつもりが、朝一番に急な案件が入ってバタバタするうち不意の来客も続き、着手の時間が大幅に遅れることになった。

ごく若い頃であれば、もう今日は仕方がない、捲土重来、明日出直しだと先延ばしにしたであろうが、ベテランにもなるとそれが単に自分の首を締めるだけになるということを身をもって理解している。

少し進むだけでも見晴らしが変わる。
だから態勢立て直し、遅れようが何であろうが這ってでも進むということになる。

夕刻にはなんとか帳尻があってほっと一安心。

もし、事務筋肉というものがあって、それが可視化できるなら、わたしのは結構な見映えの筋肉だろう。
仕事を終えてそんな意味のない空想に揺蕩いつつ、先日乗り合わせたタクシーの運転手のことを思い出す。

その運転手は腕まくりをしていたのだが、背広の袖をたくしあげているものだからほんの少し奇異に映った。
着こなしに特別なこだわりでもあるのかもしれないとだけ思って、最初はさほど気にも留めなかった。

が車が発進した途端、ハンドル握るその前腕にわたしの目は釘付けとなった。

その筋肉の隆々たる様子は並外れていた。
運転手とは別個の生命がそこに宿っているみたいに、表現力豊かに前腕の筋肉が律動している。

腕の筋肉が凄いですね。
そう聞いてみて、なるほど合点がいった。
建設現場で長く力仕事に携わっていたということだった。

ジムで鍛えてそうなる類の筋繊維とは一線を画している。
生きるため、腕の筋肉が我が道歩んでむき出しの生を得た、というようなものであった。
袖の下に覆っておけるはずがない。

わたしの事務筋肉も、腕まくりして目にすることができるなら、きっとそんな感じであろう。

やや疲労があったのだろうか、そのような意味のない空想が帰宅するまで続いた。

家に戻ると、腕に覚えある自負心のようなものが長男に見透かされたのだろう。
長男の部屋に寄ったわたしに彼は言った。

ジムに一緒に行こう。

また今度にしようと、わたしは逃げる。
ジムはジムでもわたしの畑は事務畑。
心の準備も何もなく、急速に目覚ましい発展を遂げている若者筋肉のペースに合わせられるはずがない。

彼がまだちびっ子で、わたしの方がプールに行こう走りに行こうだの誘っていたのは、思えばついこの間のことであった。
年月経つのは早いものである。

老いては子に手を引かれ、という時が訪れるのもそう遠くない。

引き続き二男の部屋に寄ってiPodを渡す。
古いiPodだが音楽鑑賞に絞ればまだまだ役に立つ。
4GBあれば数百曲は収録できる。

二男に頼まれこの日iPodの曲全部を刷新し、彼が生まれてすぐの頃の名曲を集めて同期した。

おすすめどころは、
Hoobastank の The Reason
Daniel Powter の Bad Day
Jet の Look What You’ve  Done
きっと気に入るはすである。

いずれも深い内省を促すかのような味ある曲で、聴けば当時がよみがえってジンと来る。
二男が生まれた直後数年の気分がそこに詰まっていて、そういった曲を二男と共有できることが父として嬉しい。

どうだった、と感想述べ合う時間がいまから待ち遠しい。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20170323193109j:plain
André Kertész, Clock of the Académie Française, Paris 1929.