KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

浮かれて過ごすのは罪なこと

ツイッターでフォローしている写真家からインスタグラムへの誘いがあって試しにアカウントを作ってみた。

世界の風光明媚に手軽に触れられ、数珠つながりで数々美しい写真にも出合える。
ちょっとした暇つぶしに格好だ。

年度末の山場を過ぎ、この週末、時間は山ほどもある。

そばを通りかかった息子をつかまえ使い方を教えてもらい、一緒になってノートパソコンに向き合った。
彼のガイドに従い、いろいろなアカウントを見て回る。

知ったような人らのアカウントに行き着き、その生息域を息子とともにツアーして、世相の一端が理解できたような気がした。
ちょっとした社会見学になったと言えるだろう。

写真であるから身も蓋もない。
そこにあったのは、思惑がはみ出て丸見えの、造作凝らした虚飾の数々であった。

親しい間柄でアルバムを交換し合うといったのどかさよりも、グーチョキパーで顕示を競う角張ったようなエゴイズムが垣間見えたと言えば大袈裟だろうか。

延々と顕示の程度が増していくという際限のなさも見通せて、そこに病的なものさえ感じた。

先日読んだ朝日新聞の記事のことを思い出し、息子に話す。

4月30日付「患者を生きる」。
買い物依存症であったという女性の声が取り上げられていた。

セレブを装い高級ブランドを買うとき高揚感に包まれる。
その高揚感に女性は取り憑かれてしまった。

浪費だと家族に責められるが、やめられない。
お金がなくなれば借金してまで買い、子どものお年玉にも手をつけるようになった。

結局、離婚され、親と縁が切れ、子どもとも行き来がなくなった。
そこに至って、ようやく病を脱することができた。

病気だとの理解は家族から得られず、20年もの長きに渡って苦しんだ。

たいへんだったという過去を女性は振り返り、そしてこう明るく結ぶ。
いまも相変わらず、服もカバンも靴も大好きで買物を楽しんでいる。

その声の主である兵庫県の女性53歳が陥った病の深刻をその文末に見たような思いがして、わたしはゾッとした。

そんな話を息子とするうち、インスタグラムにも飽きてきた。
わたしには場違いに過ぎ、とても馴染めそうにない。

息子と画面みて寸評加えつつピンポンダッシュをするみたい、ちょうどこの日はエイプリルフール、いいねを残すだけ残しわたしはアカウントを削除した。

インスタ見るなら新聞を読む方が有益だろう。
コーヒー飲みつつ、毎日新聞一面に目を移す。

そこにこうあった。
「子の将来期待せず」2割。
嫌でも目に留まる見出しである。

小5と中2の子を持つ8万世帯を対象に大阪府が調査を行った。
その結果が記載されているが、重苦しさに満ちた内容であった。

困窮度高い世帯では子のための貯蓄を7割以上の世帯がしておらず、子の将来に期待しないと答える世帯が2割にも迫ったということだった。

そう知ってしまえばこのご時世、アホみたいに浮かれて過ごすのは罪なことと言えるだろう。
重心低く、頭が高くならぬよう心して毎日を過ごすべき、となる。

おまえが調子に乗ったら、親の務めとしてはっ倒す。
そう息子に言いかけて、やめた。

取っ組み合いすればもはや敵わない。

だからそれとなく、まるで独り言のように人としての良識について説くことになる。

調子に乗ったら、それで傷つく人が必ず生じ、いらぬ反感さえ買ってしまう。
積極的な顕示には威嚇と暴力性が付きまとうということを心得て、自ら顕示に足取られぬよう十分注意し、また巻き込まれぬようそんな人間関係からは一歩距離を置くようにしなければならない。

伝わったのだろうと思うが、伝わってないのかもしれない。
だから日記にも書くことにした。

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Louis Stettner, Boy on Balcony Penn Station, 1957.